第7話 嘉兵衛は、衆道疑惑の果てに陰謀に巻き込まれる
天文23年(1554年)5月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
気賀で当座の軍資金を手に入れた俺は、藤吉郎と共に予定通り井伊谷へ入った。ただ、あの夜以来、何だかその藤吉郎の様子がおかしい。ゆえに、もしかしてまだ衆道疑惑が解けていないのかと心配している。まあ、この時代ならばそういう事をする男たちもいるわけだし……。
ただ、誓って言うが、俺にはそんな趣味は全くない。だから、あとは疑われるような事をしないように気を付けさえすれば、いつか藤吉郎の警戒も解けるはずだ。
そして、そう思いながらも目的地である井伊谷城に到着したので、俺は気持ちを切り替えた。なにせ、これから就職面接だ。紹介状があるとはいえ、油断するわけにはいかない。襟を正してから、門番に小野和泉守殿への取次ぎを頼んだ。
「ほう……貴殿が噂の松下殿か」
しかし、通された部屋で、その小野殿から開口一番にそう言われて、俺は首をかしげた。
「うわさ?」
「ああ、引間では衆道相手の猿を守るために、諫めた孕石殿の縁者を殴って牢に放り込んだとか。それで、弟にも婚約者にも愛想を尽かされて、廃嫡された……とかだったかな?」
何でそうなるのか。これは絶対にあの孕石か源左衛門の仕業だと断定するが、今は面接中だ。仕返しは次に会った時に必ずする事にして、兎に角まずは、否定しなければならない。
「畏れながら……藤吉郎と某はそのような関係ではありません」
「ならば、なぜその藤吉郎という小者一人を守るために廃嫡されたのかな?何でも、その者さえいれば、他の家臣は不要とまで申されたと聞いているが……」
「確かにそのような事は言いました。ですが、それは藤吉郎が非常に得難い人材だと判断したからでして……」
ただ、そう言いながらも、これ以上この件を説明しても理解は得られないだろうとも思った。何しろ、得難い人材と言っても、今の藤吉郎には実績がない。周りから見たら、おかしい事をしていると思われるのは間違いなく俺の方だった。
「まあ、貴殿がその小者とどういう関係であるかは、別に当方としてはどうでもいいのだが……要は、飯尾の若殿が望まれるように奥山家のひよ殿を娶るつもりならば、程々になされた方が良いと儂は言いたいのだ。わかるよな?」
「……わかりました。その件ではご迷惑をお掛けしないように心がけまする」
結局、こうして俺は折れて面接を続ける。配属先は……どうやら、勘定方のようだった。
「細かい業務内容については、そこに控える倅が指導いたす。飯尾の若殿からの書状を見る限りは、おそらく未経験だとは思うが、この城は脳筋ばかりでな。こういった事をする文官が圧倒的に足りないので手を貸してもらいたい」
「承知いたしました。微力ではございますが、精一杯務めさせていただきます」
まあ、簿記は教員試験に落ちた時に備えて2級の資格を取ったし、実務経験はないけど何とかなるだろう。
「あと……これは、内密の話なのだが……」
本音を言えば、あまりこう言った話に関わりたくないのだが、どうやらひよ殿を俺が娶るためには避けて通るわけにはいかないらしく、こうして強制的に巻き込まれることになった。その内容はというと……
「つまり、そちらのご子息・但馬守殿と井伊の姫君を一緒にしたいから協力しろ……と?」
「そうだ。そうなれば、倅がこの井伊谷の次の主になるわけだ。なにせ、殿の娘婿になるのだからな。誰も文句は言えまい」
ちなみに、井伊家の姫君は、名をとわ様といい、俺と同じ18歳ということだ。
そして、もしこれが叶わなければ、次善の策として井伊家の一門に連なるひよ殿を但馬守殿の妻に迎えて、反発を押し切ってでもこの井伊谷の主に押し上げるという。
「それでは、そなたも困るであろう?」
まあ、俺としてはそれでも善四郎様の望む結果に繋がるわけだから構わないのだが……和泉守殿から「その場合は、多くの血が流れるな」と言われたら、協力した方がいいという結論になった。
ゆえに、この場は「承知しました」と答えたのだった。




