第62話 嘉兵衛は、部下の揉め事に巻き込まれる
天文24年(1555年)5月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
関口家での一件があってからしばらくして、おとわは我が家に引っ越してきた。但し、条件が全くないわけではない。
「それでは、行ってきます……」
「行ってらっしゃい」
今、町娘の格好に変装したおとわが、関口家からの迎えに連れられて元気なく出立するのを見送ったが、同棲は認めてくれたものの、花嫁教育は免除してもらえず……従って、朝が来たらこうして関口家に通うことになったのだ。
そして、おとわを見送った俺も今川館へと出勤する。今日は四番隊の訓練日だ。
「ん?」
しかし、館に到着したところで、何やら騒ぎが起きていることに気が付いた。
「どうしたのだ?」
「あ……補佐官殿」
最後尾にいた隊員の大村彦六郎に何が起きているのかを訊ねると……どうやら、四番隊に所属する井出善三郎が一番隊の隊員と何やらトラブルになっているようで……
「てめえ!よくも俺の女を!」
「うるせえ!恨むなら、てめえの竿が細くて短いことを恨めや!」
要約すると、一番隊員が囲っていた女を善三郎が寝取ったらしく、その事で文句を言いに来たらしい。思わず、そんな内輪の話は、仕事が終わってからしろと言いたくなった。
「静まれ、双方静まれ!」
ただ、このまま放置するわけにもいかずに、俺は人垣の中を割って入り、今にも殴り合いを始めそうな二人を止め立てした。
「兎に角、四番隊は現在訓練中だ。内輪の話は、それが終わってから個別にやってくれ」
しかし、そう告げた瞬間、一番隊の隊士は明らかに見下したようにして、俺に告げた。「そんな態度をとっていいのか?」……と。
「あ……なんだって?」
「先に申し上げておきますが……俺の従兄の妾の幼馴染の夫は、三浦様に近しいお方なのですぞ?指南役補佐と、あまり調子に乗っていたら、痛い目に遭われるかと……」
「ほう……」
なんだか、どこかで聞いたようなセリフであるが、短小ふにゃ●ンのくせに俺に喧嘩を売っている事だけは理解した。だから、上官に抗弁した罪をもって、この者に制裁を加えることにした。
「四番隊、この者を直ちに捕らえよ!」
「なっ!き、貴様……俺の話を聞いていなかったのか!?」
「聞いていたさ」
「だったら……わかるだろ?俺は三浦様の……」
「だが、それがどうした!三浦様、三浦様ってうるさいんだよ!」
どこの家の誰であろうと、またどこの有力者の縁者であろうと、この者は一番隊の隊士にしか過ぎず、こうして上官の命に抗ったのだから処罰されるのは当然の結末だ。
それに……従兄の妾の幼馴染の夫って、他人じゃないか。
「ふざけんな!この無礼者!!」
だけど、どうやらそれが理解できる脳みそをお持ちではないらしい。自分の要求が通らないと見るや、まるで駄々っ子のように刀を抜いて襲い掛かって来た。こうなると、己が如何に身の程知らずだったのかを教えてやるしかない。
「なっ!?」
振り下ろされた刀を両手で挟み、そのまま捻じり上げて……体勢が崩れたところで、俺は役立たずだったアレを目掛けて、その股間を思いっきり蹴飛ばした。
「ぐふっ!?」
そして、痛みのあまり刀を落して蹲っているその首筋に手刀を一撃かまして意識を刈り取り、俺は今度こそ捕縛して牢に放り込むように部下に命じた。
「あの……本当によろしいので?」
「構わん。責任を追及されたら、俺が取るからおまえたちは黙って指示に従えばいい」
「はっ!」
だが……その時だった。拍手をしながら近づいてくる者が居たのだ。
「これは、三浦様……」
「いやあ、見事な一撃だったね。お見事、お見事……」
しかし、その目は口から出てくる言葉とは違い、友好的なものではない。おそらくだが、ご自分の名前を出されたのに止まらなかった俺に不快感を抱いているのだろう。
「それで、松下殿と言ったか。少し貴殿と話がしたいのだが……」
周囲に視線を向けて、暗に場所を変えろと言っていることに気が付いて、俺も同意した。




