第60話 瀬名姫は、直情の虎に畏怖を覚える
天文24年(1555年)5月中旬 駿河国駿府 瀬名
「嘉兵衛!?」
わたしの作ったお菓子を食べられた大蔵様が……口から泡を吹かれて、そのままお倒れになられた。同時に、とわ姉様が慌てるように駆け寄って、わたしの侍女に医者を呼ぶようにと命じられた。
それゆえに、わたしは今回のお菓子作りがまた失敗に終わった事を悟った。
「姫様……」
「大丈夫よ、お万。失敗は成功の基。それに、失敗した原因は何となくだけどわかっているから」
やっぱり、塩加減が間違えたようだ。甘さの中にしょっぱさがあった方がいいと思ったから入れたけど……握りこぶしで3杯は多すぎたのかもしれない。
「あのね……あんたたち、わたしの嘉兵衛をこんな風にしておいて、何のよ……その言い草は!」
「おとわ様!落ち着かれませ!!相手は……」
「うるさい!よくも、よくも、よくも!わたしの嘉兵衛を!!あかね、放せ、放しなさい!!」
「そういうわけには参りませぬ!松下家を自らの手で叩き潰されるおつもりですかぁ!!相手は、今川一門の瀬名姫様ですよ!?喧嘩を売っていい相手ではございませぬ!!」
「ぐぬぬぬぬ……」
ああ、それにしても……とわ姉様は、怒らせると怖い方だ。誰かが『直情の虎』と噂していたけど、間違ってはいない。次は絶対に失敗しないようにしなければ……。
「姫様、ここは謝罪をなされた方が……」
「そうね……」
だけど、その前に……確かにお万の言うとおり、料理の反省よりもまず行わなければいけない事は謝罪だ。
わたしは、怒り狂うお姉様に頭を下げた。「わたしが責任を持って治しますので、どうかお許しください」と。
「治す?あんたが……どうやって?」
「こういう事もあろうかと、この通り解毒剤は用意してありまして……」
実を言えば、わたしの本職はこちら薬剤師だ。幼き頃に買い与えてもらった明国の医学書を元に、かの国の薬をこちらでも作れないかと研究しているのだ。料理は……ただの趣味だけど。
「だったら、早く飲ませるなりして治して頂戴!もし、このまま嘉兵衛を死なせたら……あんたたちを殺してわたしも死ぬから、そのつもりでね!!」
ああ、怖!この様子だと、今後、大蔵様に料理を出すのは剣呑ね。
「お万」
「はっ!」
ただ、問題があるとすれば、意識を失っている大蔵様にどうやって飲ませるのかだ。口移しは……わたしとしては、未来の旦那様に申し訳ないため、実行に移すわけにはいかない。
「あなたが飲ませなさい」
「心得ました」
だから、わたしの命令を受けて、お万が薬を口に含んで、それから大蔵様に口移しを敢行した。別に初めてではないから、手慣れたものだ。
「ちょ、ちょっと!どさくさに紛れて、何をしているのよ!!」
「ですから、治療を。今、お万が口移しで解毒剤を大蔵様に飲ませましたので、横に寝かせたまま安静にしておけば、1刻足らずで目が覚めるでしょう」
そして、あとは目が覚めたら別の薬を飲んでもらう。これは、不快感を和らげるための物だから、飲まなくてもお命に関わるような事はないけど、フラフラなされていて恨みを買われている方々に不覚を取られたら一大事だ。飲ませた方が良いと、とわ姉様に勧めた。
「姫様……」
「終わったの?」
「はい……不覚にも舌を絡まされて気持ちよく、そのまま目合いたいと思いましたが、何とか踏み止まり戻ってきました」
「なっ!?」
「……それはなんというか、ご苦労様でした」
前に兄上が同じようになった時に、そのまま二人が致したことを思い出して、わたしは苦笑いを浮かべたが……
「ちょっと、嘉兵衛!あんた、なにシレっと、浮気しているのよ!なんで、舌を絡ませた!?寝てないで何とか言いなさい!!」
「とわ姉様、安静に……と申したはずですが?」
「だって!」
どうやら、思い止まってくれて正解だったようだ。この様子だと、もし、そんな関係になってしまったら、とわ姉様は確実にお万をお手打ちにされたはずだ……。




