第59話 嘉兵衛は、関口家を訪問する
天文24年(1555年)5月中旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
おとわが腹痛で苦しんだ日から5日が経ち、俺は約束通りに関口様のお屋敷を訪ねた。
「本日はお招きに預かり、恐縮です」
「なんの、なんの!我らは最早親族も同然。さあ、婿殿。遠慮はいりませぬぞ!」
本音を言えば、この後に控えている可能性がある、瀬名姫様の手料理の事もあるので遠慮はしたい所だが……相手は今川家の一門に連なる重臣だ。それに、おとわを養女に迎えて頂いた恩義もある。流石にそういうわけにはいかない。
「そういえば、おとわの具合は……」
「ご心配には及びませぬ。医師の見立てでは、風邪もようやく治りかけておりましてな……」
あの日、おとわを関口家に返すにあたって、「食あたりによる腹痛である」と伝えている。
……にもかかわらず、それを風邪と言い張るとはと、関口様の親馬鹿なお言葉に半ば呆れるが、心配がいらないという話自体は嘘ではない。五右衛門からも今朝方、そのような報告があったと聞いている。
「それで、とわとの婚儀の事なのだが……」
関口様は招待する客の名簿を俺に披露した。内治優先派の備中守様、上洛推進派の三浦様のいずれとも友好関係を維持して、家中で中立的な立場を保っているだけに、それぞれ20名ずつバランスよく選ばれていた。ただ……
「孕石主水……」
その名が記されていた事に、俺は少しイラっとした。関口様が申されるには、三浦様の派閥に属しているそうだが、引間での一件があるので、こいつだけは参列して欲しくはないと伝える事にした。
「しかし、気持ちはわかるが……それだと三浦殿は、いい気はされないだろう」
「ならば、備中守様の方も同じだけ減らせば良いでしょう。それぞれ、15人ずつの参列では如何で?」
序列的に孕石の順位は、三浦様の派閥の中では末席に近いらしい。ゆえに、双方5人ずつ削れば、参列させる必要がなくなるわけだ。
「ふむぅ……」
「減った分は、関口様に近い方々から選んでは如何でしょうか?例えば……松平次郎三郎殿は、いずれ瀬名姫様の婿にと望まれているのでしょう?」
望んでいるのは雪斎禅師かもしれないが、関口様は否定されずに「それならば……」と俺の求めに応じてくれた。そして、招待を取りやめる方々の名に縦線を入れると、次郎三郎とその他四名の名を追加した。
「これでよろしいかな?」
「ありがとうございます」
孕石主水の名は、思いっきり縦線で消されていた。俺はその事に満足して、段取り打ち合わせを続ける。場所は俺の屋敷で、日時は閏10月10日ということも確認した。
そうそう……我が松下家の力を知らしめるために、披露宴では澄酒を振舞う事も。
「よし、これで大体の事は決まったのう。あとは……」
「あ、すみません。関口様、無粋な申し出とは承知しておりますが……おとわの様子が気になります。見舞いを行ってから、帰ってもよろしいでしょうか?」
「え……あ、ああ、それは構わぬが……実は、貴殿が来られると聞いて瀬名が……」
「それでは、早速おとわの様子を見に行くことに致しまする!某はこれにて!」
あぶない、あぶない……やはり、俺を歓待するつもりで、瀬名姫様は料理をされていたようだ。藤吉郎の作戦どおりに、関口様が何か言い出す前に強行突破を試みて、どうやら正解だったようだ。
「おとわ!」
しかし……喜び勇んでその部屋に入った瞬間、俺は見通しが甘かったことを悟った。
「あら、大蔵様。お姉様のお見舞いですか?」
「え……あ、ああ……」
「それなら、用意していたお菓子はこちらにお持ちさせますね?」
瀬名姫様は脇に控えていた侍女に命じて、本当にお手製の和菓子をこの部屋に運び込ませた。色は何やら赤紫色をしているが……得意気にそういう色をしたキノコをすり潰して練り込ませているからだと俺に教えてくれた。
「あの……なぜキノコを?」
「隠し味という奴ですわ!さあ、遠慮なく召し上がってくださいませ!!」
なんでキノコが隠し味なのだとツッコミたいし、本音を言えばこのまま食べずに逃げ出したい。しかし、ここまでくればそれは叶わない事を理解して、俺は覚悟を決めてそれを口に入れた。実はおとわが大袈裟に言っただけで、本当は何もないのではないかと……期待して。
「うぐっ!?」
ただ……その期待はわずか10数秒で霧散した。噛んでその物体に舌が当たった瞬間に脳天に電撃が走って、それでも吐かない様にと無理して手元に置かれたお茶で喉に流し込んだ俺は、一気に夢の世界へと旅立つことになったのだ……。




