第54話 嘉兵衛は、臨済寺を訪ねる
天文24年(1555年)4月中旬 駿河国駿府・臨済寺 松下嘉兵衛
基本的に四番隊と五番隊が非番の時は、俺もお休みだったりする。だから、その辺りは備中守様も配慮してくれたのだろう。その休みのタイミングで俺は雪斎様と会うために、臨済寺を訪れている。
「あの……粗茶のお代わりにございます」
「かたじけない」
だけど、流石は今川家の軍師だ。こうして予定通りにやってきたというのに、急な来客対応とかで俺はもう半時(1時間)は待たされている。だから、こうして飲み干した茶のお代わりを……この目の前にいる少年は持ってきてくれた。
「すみません……禅師はもうすぐこちらに来られると思うのですが……」
「お構いなく。ところで、貴殿は……」
「ああ、申し遅れました。某は、三河国岡崎城の前の主、松平広忠が嫡男・竹千代にございます」
「松平……竹千代?」
なるほど……どこかで見覚えがあると思ったが、この少年は未来の徳川家康だ。信〇の野望で登場する顔とそっくりだ……。
「あのぉ、どうかされましたか?某の顔をそのように見つめて……ま、まさか!」
だけど、じろじろ見過ぎてしまったのが悪かったのか、竹千代君はいつでも逃げられるようにと一歩、二歩と後退りし始めた。もちろん、その理由は何となくわかった。
「いや、違うからね!俺は別に衆道の相手になってもらおうと思ったわけじゃなくてだね……」
「ひっ!」
しかし、思わず手を伸ばしたのが悪かったのか。弁明の機会を得る事ができぬまま、怯えた竹千代君は俺の前から猛烈な勢いで走り去っていき、代わりに雪斎様が現れた。
「お待たせいたしましたな、松下大蔵少輔殿。拙僧がこの寺をお屋形様より預かっております雪斎にて……」
「松下大蔵少輔にございます。お招きに預かり、光栄に存じます」
竹千代君を追いかけて、誤解を一刻も早く解消したいのは山々だが……雪斎様がこうしてお見えになられた以上は、こちらの用事を優先させなければならない。
まずはと、俺は雪斎様に手土産の澄酒を差し出した。
「これはこれは……とっても嬉しい贈り物を頂きまして」
「喜んでいただけて光栄です。もし、追加が必要とあらば、ご連絡いただければ再度持参いたしましょう」
「本当ですかな!いやいや……大蔵殿は、実に馬鹿正直なお方にて……」
「馬鹿正直!?」
え……何で今、俺は罵られたのだろうか?
「あ、あの……」
「わかっておりますぞ。なぜ、いきなり拙僧に愚弄されなければならないのか……と思われるのでしょう?」
「ええ、そのとおりにて……」
「では、これより答え合わせと参りましょう」
ニコニコしながら、雪斎様は穏やかに俺の発言の何がダメだったのかを教えてくれた。どうやら、追加を簡単に持参するという発言がNGだったようだ。
「大蔵殿。確かに貴殿にとっては、澄酒など簡単に作れるから貴重に思われていないのかもしれませぬな。ですが……濁り酒が主流のこの東国では、まさに金を産む卵にて……」
そして、そんな金を産む貴重な澄酒は、俺の切り札になり得るのだから、もっと慎重に、時には出し渋るくらいにしなければ、この戦国の世では一方的に吸い尽くされるだけの存在になりかねないと雪斎様は言われた。
それはきっと、備中守様や一刀斎様が言われた「お人好しが過ぎる」という言葉に通じるのだと俺は理解した。
「もっとも、お人好しはすぐに治るものではございませぬゆえ、こうして拙僧と話す中で少しずつ直していけばよろしいと存ずる」
「ありがとうございます。どうか、何卒ご指導の程、よろしくお願い致しまする」
「うむ……では、折角の機会なので伺いたいことがあるのだが、貴殿は朝比奈殿に天下獲りの道筋を示したそうだな。何でもその途中で本拠地を三河に移すとも……」
「ええ……駿府は東に寄り過ぎていますからね。尾張を得て、さらに京を目指すのであれば、まずは三河あたりに移られた方が……」
ただ、そこまで言って俺は気づいた。雪斎様のお顔が非常に呆れたようになされていると。
「その話……朝比奈殿から固く口留めされていなかったかの?」
全くもってその通りだ。俺は改めて、己の人の良さが致命的になりかねないという事を思い知らされたのだった。




