第52話 嘉兵衛は、この時代にもモンペが居た事を知る
天文24年(1555年)3月上旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
「……というわけで、折角受領名を賜ったというのにどうしても慣れないのだ」
「はぁ……」
やんちゃなガキどもの指導が終わって、我が家に帰った俺は、食事をとりながら藤吉郎に悩みを打ち明けた。本当は『大蔵少輔』もしくは『大蔵』と名乗らなければならない場面で、つい今まで通り『嘉兵衛』と名乗ってしまうと。
「別にいいんじゃない?わたしは嘉兵衛の方がいいと思うけど……」
「おとわ……そういえば、なぜ君がここに居るのだ?」
「え?いちゃいけないの!?」
個人的な想いとしては、寧ろいて欲しいと思っているけれど、今のおとわは関口家の姫であり、さらに婚約しているとはいっても未婚の女性だ。外聞を思えば、マズいんじゃないかと藤吉郎を見るが……「そのとおり」とばかりに何度も頷いているのが見えた。
それゆえに、その様子からすると、きっと止めたけど止まらなかったのだろうなと理解したが……
「お願い!泊まるとは言わないから、ごはんはここで食べさせて!」
目を潤ませながら両手を合わせてお願いされたら、流石にそれでもダメだという事はできなかった。何でも、関口家のごはんは偶にとってもおいしくない日があるそうで、台所から漂う臭いからそれは今日だったと……。
「仕方ない。藤吉郎、悪いが……その事、関口様に上手く取り計らってくれないか?」
「殿……」
「頼む。甘い事を言っているのはよく理解しているし、非常に面倒な事も理解しているが……」
「わかりました。その件については、上手くやっておきましょう。ところで……」
おとわの話がこうしてひと段落ついたので、受領名の事をどうするのかという話に戻るのかと思いきや、藤吉郎は心配そうに言った。要するに、俺が指導したガキどもが騒いで仕返しに来ないかと。
「仕返し?あのな、藤吉郎。俺が強いのはおまえも……」
「殿……強ければ、何もかも押し通せるのであれば、浅井様も連中にそこまで好き勝手をさせていないのでは?」
それって……もしかして、この駿府にはモンペやP〇Aのような煩い連中がいるということか!?不意に二番目の赴任先で今日と同じようにやったがゆえに、『暴力教師』と吊るし上げられて、離島の高校に3年間流された前世の記憶が蘇ってきた。
「か、嘉兵衛……大丈夫?顔色が凄く悪いわよ」
「だ、大丈夫だ。うん……」
あれは本当につらかった。おかげで片想いしていた同僚教師とも離れ離れになってそれっきりになったし……。ああ、思い出しただけで涙が出そうだ。
「本当に大丈夫?辛いなら、少し横に……」
しかし、おとわが俺に優しくそう囁いた、その時だった。屋敷の外が急に騒がしくなって、「松下大蔵少輔!今すぐ出て来い!!」と大きな叫び声が聞こえてきたのは。
「どうやら、本当に厄介な連中のようですな……」
「俺は嘉兵衛。大蔵少輔は居ない……じゃあ、通用しないよな?」
「そうですな、確実に通じないかと。しかし、殿。この場は某に任せて頂けないでしょうか?」
「藤吉郎?」
「大丈夫です。すぐに静かにさせてきますから」
その様子からすると、どうやら任せても大丈夫なようだ。もういっそのこと、モンペごとブチのめそうかという危険なアイデアも浮かんでいたのだが……ここは藤吉郎を信じて、一先ずそれを引っ込めた。
「わかった。だが、くれぐれも無理はするなよ?」
「ええ、もちろん。それと、念のために左近を連れて行きますが……」
「ああ、構わぬ。左近、必ず藤吉郎を守ってくれ」
「承知しました!」
そして、藤吉郎が左近を連れて部屋から出て行き、しばらくすると本当に静かになった。
「いやあ、よろしゅうございました。話が通じる方々でして」
しかし、戻ってきた早々に晴れ晴れとした表情で語る藤吉郎の後ろで、左近が顔を引きつらせていた。ゆえに、俺は何があったのかを訊ねてみると……どうやら、相手の弱みをちらつかせて黙らせたようだった。
「藤吉郎……」
「あ、ご心配なく!井出殿と言われましたかな……あちらがこれ以上騒がなければ、その秘密を表に出すことはありませんので」
「いや、そういう問題ではなくてだな……」
俺たちが駿府にやって来てから、まだそれほど日にちが経っていないというのに、どうして藤吉郎がその井出殿の秘密を知っているのか。不思議に思ってその事を訊ねたのだが……
「そういえば、まだご紹介していませんでしたな」
そう言って藤吉郎は手をパンパンと二度ほど叩いた。すると、天井からすっと人が下りてきて俺の前で跪いたのだ。
「この者は、石川五右衛門と申しましてな。こういう事もあろうかと、この駿府に移るにあたって雇い入れたのでございますよ」
そして、藤吉郎は報告した。井出殿に限らず、俺が任された四番隊、五番隊の関係者に関する情報の洗出しは、すでにこの五右衛門によって完了していると。
流石は藤吉郎と褒めるべきか、その手際の良さに俺は舌を巻いたのだった。




