【幕間話-3】 源左衛門は、兄の栄達の裏側で……(3)
天文23年(1554年)9月下旬 遠江国引間城 松下則綱
若殿様の婚儀が今、執り行われている。相手は三河の鵜殿様の御息女だが、今川のお屋形様の姪にあたるため、その養女になられたとか。
「めでたい!実にめでたい!!」
「これで我が飯尾家も、今川一門よ!」
だから、重臣方がそう喜ぶのは理解できる。飯尾家が今川家の中での立場が上がれば、仕えている俺だっておこぼれに預かれるというもの。ただ、問題があるとすれば……そのおかげで愛人をひとり押し付けられた事だろう。
「源左衛門殿、少し話があるのだが……よろしいか?」
そして、愛人——鈴を側室という形で受け入れた俺は、現在進行形で石見守殿と軋轢を生じさせてしまっている。何でも「それならば」と、寿殿が俺との結婚を拒んでいるとかで……。
「石見守殿、何度も言いますが、これは若殿様からの命令でして……」
「それはもちろん、儂も承知している。承知はしているが……寿は納得してくれぬのだ」
席を外して、別室で話し合いを持つことにしたが、石見守殿は言う。俺に嫁ぐのを拒む寿殿は、どうしても強要するのなら尼になると言い出したと。
「尼とは……嘘でしょう?」
「嘘ではない。それだけ傷ついているのだ。嘉兵衛殿との縁談が破談になった上で、こうしてそなたにまでも裏切られて……」
「ですので、何度も言いますが!これは若殿の命令でして、某が裏切ったわけでは!」
「そんな事は最早どうでもよいのだ!寿がこうして納得しない以上、親としてはそなたとの婚儀を認めるわけにはいかぬということだ!!」
その言葉を聞いて、俺は頭が真っ白になった。婚儀を認めるわけにはいかない?なぜだ……どうして、そのような話になるのだ……と。
「石見守殿……某と寿殿の縁組は、松下一族の結束を固めるために重要ではなかったのですか?」
縁組は家と家を結ぶための手段だ。この飯尾家で石見守殿が席次を争っている江間安芸守殿に勝つためには、我が家の協力は不可欠のはずだった。その事を思い出した俺は、この建て前に一縷の望みをつなごうとした。
しかし、石見守殿は言った。今の俺とは手を組む価値がないと。
「な、なぜ……」
「そなた、愛人を受け入れる条件に若殿と約束したのであろう?引換えに家中における風当たりを和らげてもらいたいと……」
「それは……その通りでございますが……」
ただ、それを聞いた石見守殿は大きなため息を吐いて俺に言った。自分の身も守れないような弱者が何の頼りになるのかと。
「だからな、源左衛門殿。儂はこの際、娘の気持ちを尊重してそなたとの縁談を破談にしてもよいのではないかと考えている」
そして、その上で石見守殿は俺に最後通告として、一つの条件を提示した。それは……鈴を家から追い出すという事だった。
「お、お待ちを!それを行えば、若殿様からの怒りを買う事に……」
「何も若殿に返せなどとは言っていない。頭蛇寺城の外に屋敷を与えて、そちらに移してはどうかと言っておるのだ」
一瞬、それならば……とも思ったが、それでも若殿様のご不興を買うのではないかと考えて、俺は回答に暫しの時間を頂きたいと申し出た。
だが、石見守殿は首を左右に振って認めてくれない。
「どうせ、若殿様にご意向を伺うつもりであろう?」
「その通りです」
「はぁ……まさにそれでは犬ではないか。そなた……頭蛇寺城の主、松下家の当主としての意地はないのか?それしきの事……嘉兵衛殿ならば、即答されていたぞ」
兄上の名を出されて、内心忸怩たるものがこみ上げてきたが、石見守殿はそんな俺の事情に構われることなく、「できぬのなら、寿の事は諦めよ。話は以上だ」と言われて席を立たれた。
「お、お待ちを!」
しかし、取り付く島もなく、石見守殿はこの部屋から立ち去られてしまった。開け放たれた戸口からは、広間から伝わってくる賑やかな音曲が聞こえてきたが、今の俺には耳に入らない。
「あ、はは……」
乾いた笑いが口からこぼれたが……どうしたらいいのかと俺は頭を抱えた。鈴を追い出したりすれば、確実に若殿様の怒りを買う筈だ。そうなれば、折角改善されたこの城での待遇も、元の木阿弥となる……。
だから、俺は考え抜いた末に、寿殿を諦める事にした。断腸の思いではあるが……あの冷や飯を食わされた頃に戻る勇気は、今の俺には……。




