【幕間話-2】 源左衛門は、兄の栄達の裏側で……(2)
天文23年(1554年)7月下旬 遠江国引間城 松下則綱
松下家の家督を継いだ以上、俺は予め決められた日に引間のお城に登城して、飯尾様の家臣としてのお役目に励まなければならない。
ただ、はっきり言おう。兄に代わって若殿様の近侍を拝命したのだが……あまり居心地がいい職場ではない。
「おや……犬臭いと思ったら、やはりおられましたか。駿府の犬が」
「おっと、ダメですよ。そのような事を言えば、東におられる飼い主様にワンワンと密告されてしまいますぞ?何しろ、その薄汚いやり口で実の兄でさえ売ったのですから……この犬は」
「ああ、左様でしたな。くわばら、くわばら!」
……初登城の日より続く、いつもの嫌味に耐えながら、ひたすら下城時刻を待つ日々。兄は藤吉郎とかいう猿を庇って勝手に自滅したというのに、城内ではいつの間にか俺が孕石様と組んで兄を嵌めた事になっている。
「おお、そういえば……今度の若殿様の婚礼だが、澄酒は当然出るのであろう?」
「あはは!何を当たり前のことを訊かれるか。あの優秀な兄を追い出して当主になるほどの自信家なのだから、そのような事は朝飯前で準備下さるだろうよ!」
「しかし、噂だと……職人に逃げられたそうな。プププ……」
「まあ、これもやつの人徳の賜物というやつよ!あははは!!!!」
くそ……言いたい放題言いやがって!本当に孕石様に手紙を送ってやろうか。この連中の名を記して、それから駿府のお屋形様を愚弄していたと。駿府の犬だというのなら、本当にこいつらを……。
「松下殿」
「…………」
「松下殿!」
「は、はいっ!」
「若殿様がお呼びだ。部屋で待っているからすぐに参るようにと……」
そして、実を言えば……城内がこのように俺を見下している元凶は、主であるはずの若殿——飯尾善四郎様にある。
「松下源左衛門にございます」
「うむ、入るがよい」
兄には何かと親しくしていたとじいから聞いていたから、俺とも親しくしてくれるものだと思っていたのだが……どうやら、それは大きな間違いだったと今でははっきりと認識している。
何しろ、これまでも散々嫌がらせを受けてきたのだ。例えば、先程話題に出た婚礼の際に澄酒を用意する話も……澄酒造りに失敗したと知った上での命令だったのだ。
「それで……御用の向きは?」
「そなたに頼みがあってな」
「頼み……にございますか?」
そんな事情もあるので、はっきり言って嫌な予感しかしない。だけど、ここで逃げ出せば、借金を返す当てもなくなり、寿殿との縁談も破談だ。ゆえに、逃げるわけにはいかず……話を伺う事にしたのだが……
「単刀直入に言う。先日、俺の愛人を押し付けようとした者が死んでしまってな、ひとり余る事になった。だから、そなたにくれてやるから娶れ!」
「はい!?」
「ああ、そのように心配せずともよい。嘉兵衛の事があったから、これまで何かと冷たく当たってきたが、くれてやる女は美人だ。齢はそなたよりは5つ上であるがな」
矢継ぎ早に告げられた余りの仰せに、俺は血の気を失った。
「お、お待ちを!某には婚約者がおり……」
「わかっている。松下石見守の娘、寿であろう」
「はい……」
寿殿と結婚できると思っていたから……借金まみれの家も捨てず、こうして嫌がらせを受けても耐えてきたのだ。それなのに、他の女と結婚しろとは……。
「別に正室にしろとは申しておらぬ。側室で構わぬゆえ、引き受けてもらいたいという事なのだ」
「ですが……我が家は借金まみれで、そのような余裕は……」
「支度金として500貫付けようではないか。あと、引き受けてくれるのであれば、今後城内におけるそなたへの嫌がらせは禁止しよう。それならどうだ?」
500貫あれば、確かに借金は完済だ。それに、嫌がらせを禁じてくれるのであれば……悪い話ではない。
「……わかりました。そのお話、お受けすることに致しましょう」




