【幕間話-1】 源左衛門は、兄の栄達の裏側で……(1)
天文23年(1554年)5月中旬 遠江国頭蛇寺城 松下則綱
下手を打った兄が去り、俺は松下家の家督を継いでこの頭蛇寺城の主となった。
「「「「殿、おめでとうございます!」」」」
「うむ!」
まあ、城主と言ってもこの頭蛇寺城は、飯尾様が治める引間城の出城のようなものだから、傍から見たらちっぽけに思えるかもしれないが……それでも、次男に生まれて死ぬまで部屋住みだと覚悟していたのが覆ったのだ。とっても嬉しいし、祝いの酒も美味い!
「あとは、寿様との祝言ですな!」
そして、何よりもめでたいのは、そう……寿殿だ。俺と同じ年に生まれて、俺が先に好きになったのに、当たり前のように兄の婚約者になったあの娘が……俺の妻になるのだ。実を言えば、この城の主となった事よりも嬉しかったりする。
「いつ頃嫁がれる予定かの?」
「ご先代様の喪が明けてからになるんじゃないか?」
それならまだ1年も先の事か……。家臣たちの会話に耳を立てていたが、その声に俺はがっかりした。本音を言えば、今すぐにでも祝言を挙げたい。
「じい、何とかならぬかな?」
「何とかとは……何がですかな?」
「今の話だ。俺は、寿殿と早く祝言を挙げたいのだ」
しかし、それを言った途端に、じいは呆れたようにため息を零した。
「じい?」
「一体、そのような金がどこにあると……」
じいが言うには、元々俺の元服もギリギリでやったというのに、そこに来て父上の葬儀で……我が松下家の財政は現在火の車になっているらしい。何を馬鹿なと思っていると、本当に真っ赤な文字で書き記された帳簿を突きつけてきた。
さらにいうと、そこに記されていた我が家の借金は、なんと……500貫(6千万円)。
「冗談……だよな?」
「近在の商人たちと交わした証文はこちらに……」
その証文は全部で7通に上り、いずれも父上の署名がなされていた。家督を相続した以上は、その返済を俺が行わなければならない……。
「まあ、寿殿への結納金は、嘉兵衛様の時に支払っておりますゆえ、石見守様に頼み込めば何とかなるかもしれませぬが……」
しかし……と、じいは続けた。この松下家の当主が婚礼を挙げるのだから、式自体はそれなりに金をかけたものにしなければならないと。そのため、むしろ父上の喪中で来年まで延期せざるを得ないという事情は、我が家にとっては好都合なのだと言った。
「だが……500貫もの借金を1年で返済して、さらに婚礼の資金を貯めるとなれば……」
「はい、もちろん並大抵ではなし得ませぬな。ですが……」
ここだけの話として、じいは俺に秘策を教えてくれた。それは、澄酒を造って売る事だという……。
「澄酒って……造れるのか?」
「わかりません。ですが、嘉兵衛様が以前、飯尾様に献上するからと言って作られておりました。そのとき、手伝っていた者が何名か残っておりますので、その者らに任せればあるいは……」
本音を言えば、仮に上手く行ったとしても、兄のフンドシで相撲を取るようなものなので、気分がいい話ではない。しかし、背に腹は代えられずに、試してみてもいいかと思った俺は、その者らをすぐに召し出すことにした。
「澄酒ですかい?」
「ああ、そうだ。おまえらは、兄上の下で作ったのだろう?」
「そりゃあ、作りましたけどねぇ……」
ただ、これはどうしたことだろうか。なぜか、集まった者たちの反応が今いちであった。
「どうしたのだ?」
「いや、作り方を教えても、絶対に信じてくれないだろうな……と思いまして」
その上で、「本当に何があっても怒らないか」と訊ねてきたので、俺は怒らないと約束をした。だけど……
「おい!いきなり何をするか!!」
その者たちは、台所に場所を移すと……問答無用でそこに保管してあった酒壺に竈の灰をばら撒いたのだった。流石にこれは看過できずに怒鳴りあげた。
「だから言ったでしょう?絶対に信じてくれないって」
そして、連中は寂しげに笑って、そのまま立ち去って行った。




