第47話 嘉兵衛は、左近を勧誘する
天文24年(1555年)1月中旬 遠江国井伊谷・龍潭寺 松下嘉兵衛
俺が龍潭寺に駆け付けると、すでにそこには奥山殿と中野殿が乗り込んでいた。
「嘉兵衛殿、如何なされたか?」
「いえ……今日の予選で優れていた者が居たと聞いていたので、我が家臣にと思いまして」
「なるほど、確かに駿府で500石の知行を賜るのならば、家臣は必要だな。しかし、それは井伊家も同じことでな……」
奥山殿は続ける。すでに成績上位者の何名かに井伊家への仕官を勧めて、了承を得たと。
「遅かったか……」
「まあ、そうがっかりせずとも良いではないか。駿府に行けば人も多いし、それなりに見つかるであろう?本当に困ったら、今川家より紹介してもらってもいいわけで……」
折角の優しいお言葉だが、それなりの人物ではダメなのだ。左近殿でなければ……と思って、ワンチャンないかと奥山殿の後ろにいる侍たちを見たのだが、その時少し違和感を覚えた。何しろ、全員髭面で、どう見ても年端の行かない少年はここに居なかったからだ。
「あの……その後ろにおられる方々以外に、声をかけている者は……?」
「これで全員だ。それが如何した?」
「もし、差し支えなければ、名簿を見せて頂くわけには参りませぬか?」
「それは構わないが……」
そして、手渡された名簿を隅々まで確認して、俺は心の内で歓喜に震えた。そこには、予選会で上位の成績を収めた者たちが多く名を連ねていたのだが、島左近の名前が記されていなかったからだ。
「お手間をお掛けしました。それでは某はこれにて」
「うむ、そう気落ちせずにな」
この連中の目は節穴かと思いつつも、軽く頭を下げて俺は一旦この龍潭寺から退散した。それから、しばらく茂みに潜んで、奥山殿や中野殿がお城に帰っていくのを見届けてから、再び龍潭寺の門を叩いた。
「あれ?嘉兵衛殿。お帰りになられたのでは……」
「忘れ物を取りに来た。昊天殿……島左近という若者に会いたいのだが、会わせてもらえないだろうか?」
「島?ああ、怪我をしたあいつか……」
昊天殿は「今、治療中だから」と言って、少し待つように言った。すると、奥の部屋から物凄く痛そうな悲鳴が聞こえた。
「骨折など、唾を付けておけば治るというのに大袈裟な……」
「いや、普通は治らんでしょう」
「そうか?気合と根性さえあれば、普通治るだろう」
「いやいや、治りませんって!」
ただ、こんな事を言い合っていても仕方がないから、俺は訊ねた。今の悲鳴の主こそが島左近殿なのかと。
「ああ、そうだ。情けないだろ?奥山殿も中野殿もあれで誘うのを一発で見送ったほどだ」
「そうですか……」
まあ、あの二人も脳筋だからな。軟弱者とでも思って、候補からはじいたのだろう。間抜けな……。
「お……どうやら、今ので治療は終わったようだ。もうじきここに来るだろうから、後は好きにするがよろしかろう」
「ありがとうございます」
そして、昊天殿がこの場から去ったのと入れ替えに、左近殿は俺の前に姿を現した。
「怪我の具合はどうかな?」
「そうですね……さっきまで痛かったのですが、不思議な事にそれは何とか。それで、貴殿は?」
「井伊家家臣・松下嘉兵衛にござる。島左近殿ですな?」
「そうですが……何の御用で?」
「単刀直入にお話しますが、某は貴殿を家臣に迎えたいと思っております」
「家臣?某を……でございますか?」
聞けば、今日の予選では3回戦で負けたそうだ。そのため、自信を失いかけているのか、どこか半信半疑のように訊き返してきたが、俺は本気だ。駿府で500石の禄を賜る事になったから、そのうちの50石を与えて召し抱えたいと頼む。
「50石……」
「少ないか?本当は250石やりたい所なんだがな……」
「250石!?」
まあ、左近にそれだけあげたら、藤吉郎にはどれだけあげるのかという話になるわけで、経済的な視点も含めて考えたら、50石が無理だとしても、70石くらいまでしか出せない。ちなみに、藤吉郎には100石を与えるつもりだ。
「それでどうだろうか?改めて50石でうちに……」
「わかりました!その条件で構いませんので、どうかこれより『殿』と呼ばせてくださいませ!」
「そうか、ありがとう。もちろん、禄が増えたら必ず加増するからな」
「ははっ!ありがたき幸せ!!」
大げさなと思うが、何はともあれ仕えてくれるのであれば言う事はない。今は怪我の治療に専念するように言い残して、俺は龍潭寺を後にした。




