第45話 備中守は、その規格外を前に苦悩する
天文24年(1555年)1月中旬 遠江国井伊谷城 朝比奈泰能
倅・左京と松下殿の勝負は、そんなに時を置かずしてケリがついた。何合か打ち合った後に手にしていた木刀が宙を舞って、カランと音を立てたのとほぼ同時に喉元に刃を突き付けられては、両手を上げるしかなかった。
「なんなのですか、あの強さは……」
儂の下に戻って来た左京は、若殿様(氏真)と共に塚原卜伝殿から剣を学んでいて、家中の若手では上位の強さを誇っているはずであった。
しかし、今の言葉のように……松下殿の強さははるかに上回っていた。
「上には上がいるという事だ。今回の敗戦を教訓に、駿府に帰ったら驕りを捨ててもう一度鍛え直すことだ」
「はい……」
まあ、倅の教育上、そのようには言ったものの、あの強さは何なのだろうと思う気持ちは儂も同じだ。そして、そうしている間にも、中野助太夫も敗れて……次は龍潭寺の僧兵、傑山の番となった。但し、手に持つ得物は木刀ではなく、槍を見立てた長い棒だ。
「では、参る!」
一方、松下殿の得物は変わらず木刀のまま。だから、この勝負は今までのようには行かないと思ってみていると……攻撃をかわしながら次第に懐に入っていき、最後は傑山の腹に一撃を加えて勝負あり。この勝負もあっさりと決着がついたのだった。
「強いな……やつに得物の長さなど関係なかったか」
これだけの強さがあるのであれば、間違いなく馬廻衆に入れてもお役目を果たすことはできるはずだ。だから、儂としては味方になってくれるのであれば、もろ手を挙げて信濃守殿の願いをかなえる事に全面的に協力したいと思っている。だが……
「今川家は……このままでは滅びるか……」
「父上、例の話にございますか。それなら……」
「事はそう容易い話ではない。若輩者は控えておれ!」
……松下殿は、駿河の阿呆共のように無計画ではないが、今川家は天下を目指すべきだと言ったそうだ。
左京は、聞いて来た計画を儂に説明して、「これならばよいのではありませんか」……などとすっかり感化されてしまったようだが、尾張を平定したら本拠地を三河に移す?全くもってあり得ない話だ。おそらく、そんな話を提案しても、誰も耳を傾けたりはしないだろう。今川は駿河の国主なのだから。
まぁ……逆に考えたら、誰にも与しないというのであれば、それはそれで良いのかもしれない。物は考えようだが、さてどうしたものか……。
「あの父上……そういえば、さっき気が付いたのですが……」
「なんだ?」
「あの、前原弥五郎という男ですが、一刀斎殿に似てはいませぬか?」
「一刀斎?」
左京の言葉に反応して、松下殿の対戦相手に目を向けて儂はようやく思い出した。どこかで見た覚えがあると思っていたが、なるほど……確かに伊東一刀斎殿だ。前に塚原殿と共に駿府のお館でお目にかかったわ!
「しかし……なぜその伊東殿がここにいるのだ?」
今川家は2年前、伊東殿に仕官を勧めたが断られた経緯がある。だから、てっきり他国へ去ったとばかり思っていたのに、なぜこの井伊谷にいるのだろうか。
「何でも、井伊家は松下殿の対戦相手を求めるために、10貫の賞金を付けて募集をかけたようで……」
「馬鹿な!金に困っているのなら、我が今川家を訪ねればよいではないか。10貫とは言わず、100貫でも200貫でも仕官さえして頂けるのなら、いくらでも用立てできるのだぞ?」
ゆえに、きっと何やら思惑があっての事だろうが、ただ、こうして再びお目に掛かれたのだから、この機会を逃すわけにはいかない。儂は「あとでお目に掛かりたい」と紙に書き記して、左京に渡す。勝負が終わったらこの書状を渡して、必ず部屋に連れてくるようにと。
「いいか、逃がすなよ?何だったら、松下殿にも手伝ってもらえ」
「承知しました」
そして、左京が去り、再び舞台へ目を向けると……松下殿と一刀斎殿の勝負が始まった。




