第44話 嘉兵衛は、その実力を示す
天文24年(1555年)1月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
次郎様の婚礼も昨夜つつがなく終了し、この井伊谷における行事の主役は俺へと代わった。
「今日は、朝から硝石造りの工房を見て頂き、それから椎茸栽培の現場を見て頂きます。その後、澄酒の工房と洗濯場に立ちより……」
世話役として、このように今日の予定を備中守様に説明しているが、領内の視察にあたっては予ての打ち合わせ通りに、一切隠し立てなしで行う事になっている。
「備中守様、何かご質問はございませぬか?」
「ない。よろしく頼む」
「畏まりました」
こうして、俺は備中守様とその御一行を連れて領内の諸施設を回ったわけだが、その道中、例の天下獲りの話に関する質問は出なかった。左京様から聞いていない筈はないと思うのだが……
「小便をかけるだと!?そんな事で……これで、本当に硝石ができるのか?」
「まだ試行錯誤中な所もありますので、必ずできるという保障は出来かねますが、上手く行けば、安定生産を行う事は可能かと」
「信じられん……だが、もしそのようなことになれば、態々高い金を払って堺から買わなくても済むようになるという事か……」
……この様子からすると、本当に聞いていないのかもしれないと思う程に、備中守様はただ純粋に俺から受ける説明に耳を傾けて、出てくる話も技術に関する質問ばかりだった。そして、これらの技術を駿府にも提供すると話すと、非常に上機嫌になられた。
「そうか、そうか。それは今川家にとっても誠に喜ばしい限りだ。特にこの澄酒は素晴らしい。是非とも駿府でも味わえるように頼んだぞ」
「承知いたしました」
ちなみに、この澄酒に関する利権に絡む話だが、駿府で作った物は遠江より西には売らない事で、井伊家と備中守様の間で合意したと聞いている。まあ、俺にとってはあまり旨味のある話ではないが、井伊家と方久の利益が守られるのなら、悪い話ではない。
そして、予定していた視察を終えて、城に戻ってきた俺は……備中守様一行を二の丸にご案内した。
「何をするつもりだ?」
「一応、文官としての実績は今日見て頂いた内容でご理解して頂けたと思いますが、そもそもの話、駿府ではお屋形様の馬廻衆に……ということでしたから、武術の腕前を備中守様も試すおつもりだったのでしょう?」
「そうだ。儂は明日にでも、そこに控える左京との勝負を貴殿に持ちかけるつもりであったが……」
「おそらく、そういうお話になるのではないかと思って、対戦相手も含めて用意していたのですよ。それで、これから某の強さを示したいと……」
向かう先、二の丸馬場の準備はすでに整っていると聞いている。対戦相手も、朝から現地入りして、いつ戦う事になっても良い様に備えているとも。
「もちろん、左京様も加わりたいのであれば、喜んでお相手仕りましょう。如何ですかな?」
「父上、面白そうではありませんか!某は参加しとうございます!」
「わかった。ならば、松下殿の提案を受け入れることに致そう。案内してくれ」
「畏まりました」
ちなみに、対戦相手は……傑山さんに中野助太夫殿、それに一般枠から勝ち上がったという前原弥五郎と申す浪人だ。なお、この弥五郎という男は相当な手練れらしい。但馬守殿が心配して、準優勝だった者と入れ替えることを提案した位に。
ただ、そのような男と何よりも戦いたいという思いが勝って、俺は入れ替えを認めなかった。よって、これに左京様が加わり、俺は四人と順番に勝負する事になった。
「それじゃあ、誰から始めようか?」
「俺からじゃダメですか?」
真っ先に声を上げたのは、左京様だった。特に異論が上がらなかったので、戦う順番は左京様、中野殿、傑山さん、弥五郎となる。
「備中守様もそれでよろしいですよね?」
「え、ああ。構わない……」
「どうかしたのですか?」
「いやな、あの前原弥五郎という男だが……どこかで見たような気がしてな」
しかし、結局思い出せなかったようで、備中守様は但馬守殿に促されて、見学用の貴賓席へと案内された。さあ、勝負が始まる……。




