第43話 嘉兵衛は、探りを入れられる
天文24年(1555年)1月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
『今川家はこの先、天下を狙うべきか、それとも否か』
実を言えば、俺の答えはすでに出ている。天下は……狙わなければならないと。
しかし、あの時備中守様は、「天下を狙うべきか、それとも天下を狙わずに領国の治世を優先すべきか」と言われていた。これが妙に引っ掛かるのだ。
特に「領国の治世を優先すべきか」と具体的な事を言っているあたり、何となくだが……備中守様自身は、天下を狙う事には反対なのではないかと。
「そうなるとなぁ……」
「嘉兵衛殿、お静かに」
「あ……」
いけない、いけない。考え事に没頭していて、失態を晒すところであった。今、丁度、亀之丞様の元服が執り行われており、烏帽子を殿にかぶせて頂いているのだ。但馬守殿の忠告通り、私語は慎まなければならない。
「これより、亀之丞改め、井伊次郎直親と名乗るが良い」
「「「「「おめでとうございます!!」」」」」
そして、最後に殿より新しい名が披露されて、続いて備中守様が駿府のお屋形様からお許しが出たとして、次郎様に『肥後守』の受領名を名乗るように勧めた。これで家中においては、肥後守様と呼ばれることになるはずだ。実にめでたい事である。
さて、これで元服の儀が終了したわけで、俺は再び与えられた課題についてどう答えるべきかを考える。まあ、そうは言っても、備中守様の世話役としての仕事があるから、常に客間近くの待機部屋で控えておかなければならないが……
「松下殿」
……このように呼び出しを受けさえしなければ、あまりする事がないので時間はある……って、呼び出されたから行かなければならない。
「お呼びでしょうか、左京様」
「今宵の婚礼まで時間があろう。だから、碁の相手をして貰えないかと思ってな」
「それは、備中守様のお相手でしょうか?」
「いや、この俺の相手だ」
そして、盤と碁石は持ってきたから、ここで付き合って貰いたいと左京様は言った。
「わかりました。急なお召しがない限り、お相手致しましょう」
「よろしく頼む」
ただ……そう言いながらも、何となくだがこの左京様が何を目的でこのような事を言い出したのか、理解した。即ち、俺が与えられた課題に対してどう考えているのか、探りを入れてきているのだ。
「それで……例の課題ですが、順調ですかな?」
「ええ、まあそれなりに……」
「ちなみに、父上は……天下獲りよりも、駿遠三に跨る三か国の領国を安定させることをお望みだ。あ、これは内緒ですが」
なるほど……こうして困っているところに、備中守様が何を望まれているかを漏らすことで、裏から俺を味方に引き込むことが左京様のお役目という事か……。
「ところで、左京様。その様子だと、駿府には今川家の天下獲りを望む者がそれなりに居ると考えてよろしいので?」
「ええ、そのとおりです。ですので、父上は貴殿を味方に引き込んで、その者たちの暴走を止めようと考えておられます」
「ちなみに、天下獲りと申しますが……その者たちは、具体的な構想をどのように語っているので?」
結論から言えば、今のまま天下を望んでも、今川家が天下を獲れなかった事は歴史が証明しているから無理だ。すると、やはり案の定というか……今、天下獲りを叫んでいるという連中は、碌なプランなど持ち合わせていないようだった。
「なんですか、そいつらは。アホなのですか?」
「まあ、アホはアホでも今川家の重臣たちだから、そういう事を言ってはダメでしょうけど、全くもってその通りです」
特に「尾張は上洛のついでに滅ぼせばよい」とか軽々しく言っているらしく、正直な気持ちとして話にならないなと思った。こんな事だから、桶狭間で負けたのだと……。
「それで、如何ですか?流石にそいつらとは手を組めないでしょう」
「ええ、それは同意します。ですが、左京様……」
「なんでしょう」
「これだけは申しておきますが……これからの世の流れを考えれば、備中守様の望まれている通りに三か国の領地を守っているだけでは、やがて今川家はジリ貧となりましょう。強大な勢力に力づくで従わされるか、あるいは……滅ぼされるか」
「滅びる?今川家が……?」
「ええ、そうです。世の流れを見るに……早ければ、あと20年程先には選択を迫られることになるでしょう」
何しろ、これから先は巨大化した大名同士が覇権を争う時代に突入していくのだ。今川家と同じように70万石の領地を持ち、名門として越前に君臨している朝倉家だってその流れに飲まれて滅びたのだ。今川家だって、他人事ではない。
だから俺は、改めて「今川家が生き残るためには、天下を獲るべきだ」と左京様に告げた。ただし、そのための段取りを添えて、何も闇雲に目指すわけではないのだ……と。




