第42話 嘉兵衛は、水面下で課題を与えられる
天文24年(1555年)1月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
ついに今日、朝比奈備中守様がこの井伊谷に到着なされた。
「備中守様、よくぞ我が井伊谷城へ。歓迎いたしますぞ」
「出迎えかたじけない、信濃守殿。しばらくの間、世話になる」
そして、このようなやり取りを経て、殿はおん自ら朝比奈様を本丸御殿内に用意した客間へと案内された。部屋は畳敷きであり、調度品も方久に頼んで新しく立派なものに改めてあった。
「これは……過分な持て成しを」
「何を申されますか、備中守様。今川家の宿老たる貴殿をお泊めするのですから、これくらいの事はさせて頂かないと」
まあ、今回の改装でかかった費用はそれなりになるけれども、これも俺を売り込むための宣伝費用ということらしいので、文句を言うわけにはいかない。そして、備中守様と談笑する殿の背後で控えていると、ついにお呼びがかかった。
「あと滞在中、何かございましたら、こちらに控える松下嘉兵衛に何なりとお申し付けください」
「松下嘉兵衛にございます」
「ほう……貴殿がそうなのか」
値踏みするような視線を感じたが、ここは耐えなければならない。だが、それも一瞬で終わり、「まずは旅の疲れを癒したいから」と俺は下がるように言われた。この後予定されている歓迎の宴までは用がないから、この部屋には絶対近づくなとも。
「承知しました」
一体、人払いをして何を企むのかと気にはなるところであるが、かといって拒むわけにもいかずに俺は殿と共に退室した。ただ、予定では宴まで1刻半(3時間)ある。
「殿、暫し二の丸へ行きたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、そういえば、今やっているのであったな。そなたに挑む代表を決める戦いが……」
あまり強い者が居た場合は、但馬守殿の判断で俺への挑戦者は別の者にするということだが、そのような者が居たら家臣にしたいし、それに純粋にどれほど強いのか興味もある。
だから、殿の了解をこうしてもらって、少しの間、見に行くことにした。しかし……
「松下殿」
殿の下から離れて、しばらく歩いた先で声をかけられたので振り返ると、そこには朝比奈様の後ろに控えていた若侍の姿があった。
「あの、何か御用が生じましたか?」
「ええ、父上が井伊殿には内密に貴殿と話がしたいと。そんなにお手間は取らせませんので、お越し願えないでしょうか?」
若侍は名を朝比奈左京と名乗り、備中守様の長子であることを明かした。そうなると従わないわけにはいかず、俺は言われるままに先程の部屋へと入った。
「松下嘉兵衛、お召しにより参上しました。それで備中守様、御用の向きは?」
「今川家の直臣に迎えるにあたり、ひとつ貴殿の考えを聞きたいと思ってな」
「某の考えにございますか?」
もしかして、これって採用試験の面接という事なのかと考えてしまうが、事はもっと深刻だった。備中守様は、この答えによって自分の味方なのかそれとも敵なのかを見極めたいと言ったのだ。
「味方か敵かって……」
もし敵ならどうするつもりなのかと思っていると……問答無用なのだろう。備中守様は俺に訊ねてきた。それは、この先今川は天下を目指すべきか否かと。
「えぇ……と、確認させていただきたいのですが、今川家は天下を狙われないので?」
「家の方針としては決まっていない。だからこそ、貴殿に問いたい。天下を狙うべきか、それとも天下を狙わずに領国の治世を優先すべきか……を」
備中守様は、どうやら冗談で訊いているわけではないようだ。その眼差しは真剣そのもので、例えるならば、抜身の刃を突きつけられているようにも感じられた。
「ちなみに備中守様のお考えは?」
「いわぬ。迎合されては試験の意味がないからな」
まあ、それはそうか。ならば、和尚や藤吉郎に情報を貰って……
「ああ、もうひとつ。この件は他の者には他言無用だ。あくまでそなたの意見を訊きたいのだ。儂の考えなど関係ないし、ましてや井伊家の事もな」
そして、この条件をもし破れば、備中守様は敵になると明言した。くそ……逃げ道を塞がれてしまったか。
「答えはこの場で必要でしょうか?」
「いや、いずれにしても滞在最終日に貴殿の実力を試させて貰おうと思っているから、回答はその時で良い。ただ……儂は敵を利するつもりはないから、駿府で望む暮らしをしたいのであれば、よく考えて答える事だ」




