第4話 嘉兵衛は、若殿様から厄介ごとを押し付けられる
天文23年(1554年)5月上旬 遠江国引間城 松下嘉兵衛
「これは若殿……」
「父上から話は聞いている。済まぬな、我が家に力がないために、そなたには苦労を掛けるな……」
まあ、善四郎様に謝ってもらったところで何か状況が変わるわけではないが、その気持ちだけは有難く受け取った。そして、差し出された100貫(1,200万円)の割符も受け取る。これは餞別金という事らしい。
「ありがとうございます」
「気にするな。俺とおまえの仲ではないか」
誤解がないように言っておくが、俺と善四郎様の関係は主と近侍の関係以上ではない。そもそも、俺に衆道の趣味はないのだ。
それだけに……こうした美味しい話の裏には罠が潜んでいると気づいたが、「少し話がある」と言われたら従わざるを得ず、そのまま近くの部屋に連れ込まれた。
「あの、ここは……?」
「女中の部屋だ。流石にこんな所で密談しているとは誰も思うまい?」
「それはまあ、そうですが……」
ちなみに、この部屋の女中は善四郎様の母上が今、お側に召し出しているということで、しばらくは帰ってこないらしい。つまり、これからここで聞く話というものは、やはり非常に厄介なものということだ。その事を改めて認識して、俺は回れ右をする。
「どこへ行く?」
「……連れを待たしているので、某はこれにて」
君子危うきに近寄らずだ。関わってはダメだと判断して、俺は部屋から退散しようとした。しかし……
「まあ、待て。話を聞いてくれるのであれば、退職金として特別に200貫(2,400万円)の割符を追加で与えようではないか」
クビになって無職となったからには、金はやはり必要だ。結局、200貫の誘惑には敵わずに俺は善四郎様の話を聞くことにした。
「それで……お話とは?」
「そなたも存じておろう?俺が鵜殿様の御息女をこの度妻に迎える事になったという事は……」
「ええ、父の葬儀の際に耳にしました。しかも、姫君は駿府のお屋形様の養女となられて嫁がれるとかで……」
参列して頂いた重臣方が「これで飯尾家も今川一門よ!」と喜んでいた事を覚えている。ただ……そこまで聞いて何を懸念しているのかを理解した。つまり、善四郎様が懸念されているのはこれまで囲われていた愛人の存在であることを。
「この秋に祝言と伺いましたが、まさか……まだ清算できていないとか?」
「実は、そのまさかだ。……いや、そんなに呆れないで聞いてもらいたいのだが、5人いた愛人のうち、4人までは母上が家臣との縁談をまとめてくれて片付いてはいるのだ。しかし、最後の一人が残っていてな。何度も使者を送って説得しても『うん』と言わないのだ……」
だからこそ、その残る一人を……俺が口説いて娶って欲しいというのが善四郎様の依頼というわけだ。本日、婚約が破棄されたので丁度良いとばかりに。
「ちなみに、女は井伊家の家臣・奥山因幡守の娘で名はひよと申す。心配せずとも、物凄く美人だ。歳はおまえより3つ上ではあるが、そこは大人の技できっと満足するであろう」
精神年齢で言えば、俺の方が圧倒的に上だが、それは言うまい……。
「ですが、某はこれから浪人になる身の上ですよ?娶りたいと申しても、相手が承知するとは……」
「その辺りについては懸念無用だ。仔細はこうして、井伊家の家老・小野和泉守殿に渡す書状に認めてある。おまえはこれより井伊家の家臣となり、堂々と我が愛人を寝取ればよいのだ」
「はぁ……」
井伊家って、江戸時代になれば徳川家の重臣として大大名になるけど、この時代は吹けば消し飛ぶような田舎の小さな国人領主だ。ビッグになろうと思うのであれば、他の大名に仕えた方が手っ取り早いだろう。例えば、尾張の織田信長とか……。
「頼む!成功した暁には、毎年世話料として100……いや、200貫支給しよう!それでどうだ?引き受けてはくれまいか」
「……わかりました。果たして上手く行くかはわかりませんが、できるだけの事はいたしましょう。それでよろしいでしょうか?」
「ああ、それでよい」
しかし、このまま放置して、そのひよという女がこの引間に押し掛けようとしたならば、きっと善四郎様は飯尾家の面目を守るために問答無用で始末なされるはずだ。そう考えると、流石に寝覚めが悪い。
俺は仕方なく、この任務を引き受ける事にしたのだった。




