第38話 嘉兵衛は、クリスマスに臨む(後編)
天文23年(1554年)12月下旬 遠江国井伊谷 松下嘉兵衛
ちなみに、亀之丞様が連れてきたのは、おとわだけではなかった。ひよ殿やその妹のお奈津殿、それに知らない女の子が一人……俺がおとわの為に用意したコスチュームに身を包んで現れたのだ。
「亀之丞様、これは……」
「但馬守、そう難しく考えるな。嘉兵衛が言うには、今日は異国のお祭りとの事。ならば、浮世の事は忘れて、皆で賑やかに楽しめばいいのだ」
「は、はぁ……」
但馬守殿は今一つご納得していない様子ではあったが、だからと言って反対はしなかった。ひよ殿はメイド服姿、お奈津殿はセーラー服、そして、知らない女の子——あかね殿はなぜか体操服姿で……亀之丞様、但馬守殿、藤吉郎の隣にそれぞれ座って杯を持つ。
「ささ、改めて飲み直そう。新しい出会いと互いの輝かしい未来に乾杯だ!」
しかし、亀之丞様の言葉はもう俺の耳には届かない。何しろ、いずれも似合っていて、目の前にいる天女たちの姿は、まさに眼福であったからだ……。
「……ちょっと、嘉兵衛?なに鼻の下を伸ばしているのかしら……」
「の、伸ばしてなんかいないぞ!?おとわが一番だから、俺はそんなことしない……」
ただ、そうは言いつつも、亀之丞様の隣で微笑むメイド服姿のひよ殿は、おとわにない胸のふくらみがあるせいか、非常に色っぽくて目が離せない。しかも、胸元が広く空いているデザインにしていたせいか……はっきり言おう。この位置からは谷間がチラチラ見えている。
もちろん、その事を口にするわけにはいかないけど、折角の機会なのだ。だから、ちょっとくらい……よそ見はしたいと思うのも、健全な男ならば無理からぬ話だ。
「いてっ!」
「ねえ……今、ひよの胸を見て、わたしと比べていたでしょっ!」
「そ、そんな事していないよ!」
だけど……どうやら、よそ見も禁止のようだ。おとわはすっかり機嫌を損ねてしまい、頬を膨らませて口をきいてくれなくなった。
それゆえに、俺は少し早いけど、こうなったら機嫌を直してもらわなければならないと思って席を立ち、一旦自室に戻った。そこで用意していた包みを持って、再びおとわの下へと向かう。
「おとわ」
「……なによ、浮気者」
「そんなに怒らないでくれよ。これ……仲直りの印として受け取ってくれないか?」
差し出した包みを目の前でゆっくり開けて、そこから取り出したのは1本の簪だ。しかし、ただの簪ではない。これは亡くなった母上の形見でもあるのだ。
「お母様のって……そんな大切な物、本当に貰っていいの?」
「ああ、おとわに使ってもらえたら、きっと母上も喜ぶと思うからな」
「ありがとう……大切にするわ」
本当はこのプレゼントで感動させて、そのままの流れで『性なる夜』に突入するというのが俺の計画であったが、流石に今日のこの状況ではそれは無理だと諦めている。第一、亀之丞様が連れてきたという事は、おとわの動きは殿に知られていると考えるべきだ。
「どうしたの、嘉兵衛?」
「今日はやっぱり……お城に帰るんだよな?」
「ええ……父上からきつく言われているわ」
だから、今日の所は健全なクリスマスパーティーに留めておく。もっとも、お酒が入っている時点でどうなのだとは思うが、この時代は未成年飲酒が禁止されているわけではない。殿もそこまでは、とやかく言われないはずだ。
「あ……そういえば」
「なに?」
「あのあかねって娘なんだけど……誰?」
見ると、さっきから藤吉郎の側でニコニコ笑いながら話をしているが……少なくとも、井伊家の家中で彼女の姿を見た事はない。
すると、おとわは教えてくれた。あの子は方久の妹だと。
「なんで方久の妹がここに?」
「わたしの侍女にって勧めてきたのよ。駿府の事は詳しいから、お役に立つからと」
「なるほど……」
それはこちらとしても助かる話だ。何しろ、俺もおとわも遠江から出た事がないのだ。知っている者が側にいるだけでも心強い。
「だけど……本音はどうも、藤吉郎との縁を繋ぎ続けたいといったところかしらね?」
「え……?」
おとわがいうには、藤吉郎は方久にその才を高く買われているらしい。澄酒の事、クリーニング屋の事、それに『洗濯板』の販売の事……で、気に入られたとか。
「待て、洗濯板って……まな板を波うつように削っていて、それで洗濯に使う奴だよな?それを藤吉郎が作ったと?」
「ええ、そうよ。あれ?もしかして……それって、嘉兵衛が作ったとか?」
「いや……作っていない」
そう。俺は洗濯板の存在を知っているが、今世で作ったこともなければ、知識を教えた事もない。だから、藤吉郎が作ったとなれば……それは、自分のアイデアということだ。
「すごいな……」
今、調子に乗り過ぎて、そのあかね殿のおしりを触って叩かれたけど……藤吉郎はやはり得難い天才だ。方久ではないが……俺もこの縁は大切にしなければならない。




