第34話 嘉兵衛は、領民の生活改善を考える
天文23年(1554年)12月中旬 遠江国井伊谷 松下嘉兵衛
お光さんから話を聞いた俺は、翌朝、家庭に戻った主婦たちの家を回った。もちろん、割増手当の支給を提案したが、そもそもの話、今回の問題は待遇ではなく家庭の問題だ。
だから、この問題を解決するためには、家庭における時間の使い方を知る必要があるわけで、俺の知恵で何とか無駄を減らすことができないのかを考えたいと思っている。
そして……それらの聞き取り調査の結果、俺が着目したのは水の問題だった。
「それぞれの家に水路を引けば、少なくとも井戸から水をくみ上げたりする労力は無くなるわけだが……」
「嘉兵衛様、流石にそれは……」
「わかっているさ、藤吉郎。今の井伊家の財力では無理な話だし、それにすぐにできる話ではないな」
無論、将来的にはそうなったらいいと思うので、但馬守殿らには構想として引き継ぐつもりだが、実現するまで待つわけにはいかないので他の方法を模索する。
「何かないかな……」
例えばだが、井戸をそのまま使うとして、水をくみ上げる方法を楽にできないか。屋根に設置されている滑車を見て、数を増やすことで引く力が軽減されると物理の授業で習ったような気もするが、屋根の強度の問題はあるし、俺の残り時間を考えたら最後まで付き合う事は無理だろう。
これもイメージ図だけ書いて、但馬守殿に引き継ぐ。やるかやらないかまでは口出しするつもりはなかった。
「しかし、それでは何もできないという事ですか……」
「藤吉郎……」
「別に感謝されたいとかいうつもりはありませんが、何かこう……爪跡を残すことはできないものですかね?みんなの暮らしが少しでも楽になる、なにかを……」
その気持ちは俺も同じではあるが、だからと言ってこの件にあまり時間をかけるわけにもいかない。業務の引継ぎだって、まだ道半ばなのだから。
だが、そんな事を言い合いながら、気がつけば俺たちは河原が一望できる場所に出ていた。
「あれは……」
「ああ、洗濯ですよ。ご覧になられるのは初めてでしたか?」
そんなわけはないのだが……それらの光景を目の当たりにして閃いたのだ。俺は藤吉郎に返事をしないまま、河原に下りて、より近くでどういう風に作業を行っているのかを眺める事にした。
「こ、これは、松下様……」
「少し話を伺いたいが、洗濯は手もみや足揉みで水洗いか?」
「は、はい。そのとおりでございます」
「それでは時間が掛かるであろう?」
「それはそうですが、他に方法もなく……」
確か衣服についた皮脂や汚れは、灰汁を用いた方がより効果的に洗濯できるはずだ。念のために藤吉郎に訊ねたが、城では少なくともそのようにしているそうだ。
しかし、女は言う。そんなに立派な着物じゃないから、井戸の水を何度も汲み上げて、たらいの中で灰汁を混ぜてごしごし洗うよりかは、まだこうして川に来て水洗いしている方が早いと。
「それは他の者たちも同じようにしているのだな?」
「はい、そのとおりでございます」
ならば、いっそのこと洗濯は領内の数カ所に専門の担当者を置いて、まとめて行えばいいのではないか。前世でいうところのクリーニング屋だ。
もちろん、料金は取るけれども、そこで澄酒造りに従事している者は割引、もしくはタダにするとかすれば……家事の負担は幾ばくか軽減できるのではないだろうか。
「それに、福利厚生の一環だと思えば……」
そう考えて俺は、その女に訊ねてみる事にした。もし、実現した場合に何か問題点はないかと。
「そうですね……心配なのは、預けた着物が間違いなく戻って来るのか……」
つまり、いくら高価ではないとはいえ、洗濯中に破損したり、他の人の物と間違えて、行方不明になるようなことになれば、流石に困るということだ。それは尤もな事なので、事業化するならば、考えておかなければならない。
ただ、できるかできないかと言われたら、色々と段取りは必要だろうが、たぶんできるのではないかと思う。
俺は女に礼を言って、計画を詰めるために城に戻る事にしたのだった。




