第3話 嘉兵衛は、実在した偉いさんの横やりでクビになる
天文23年(1554年)5月上旬 遠江国引間城 松下嘉兵衛
「まさか……本当に皆辞めるとはな……」
「どうするんですか!これじゃあ……」
わかっている。藤吉郎に言われるまでもなく、家臣が一人しかいない現状では、城主として課せられる軍役や賦役のお役目を果たすことはできない。現に事態を重く見た飯尾様から、これから大広間に来いと言われている。恐らくはどうするのかと問い詰められることになるだろう。
しかし、今更足搔いても仕方がない。
「まあ、なるようになるさ。それより、藤吉郎……責任を感じて姿を消そうとは思うなよ?」
「嘉兵衛様……」
「俺にはおまえが必要なんだ。おまえさえいれば、俺は他には何もいらない」
もちろん、藤吉郎さえいればいいわけないではないが、ここでこうでも言っておかなければ、尾張に帰って信長の下へ向かいかねない。「そ、それって、まさか……」と、目を潤ませて感動しているようだが、俺は本物の嘉兵衛とは違っていい人ではないのだ。当然だが、利己的に行かせてもらう。
「嘉兵衛殿、殿がお呼びです」
「承知した。では、藤吉郎……行ってくる」
そして、藤吉郎を控えの間に残して、俺はいよいよ此度の一件に対する裁きの場へと向かう。広間には飯尾様の他に、源左衛門や石見守殿……それに見覚えのない若侍が座っていた。誰だろうと思っていると、「孕石主水と申す」とその男は名乗った。
「さて、飯尾殿。こうして我が妾の叔父の幼馴染の従弟の甥を殴って牢にぶち込んだ当事者が現れたわけですから……そろそろ、この落とし前をどうつけるのか、ご回答いただけるのでしょうな?」
「は、はぁ……」
「はぁ、ではないでしょう!それとも何ですかな?貴殿は某を軽んずるおつもりか。畏れ多くも駿府のお屋形様より片諱を賜った某を……」
「め、滅相もございませぬ!」
まあ……要するに、信じられない事ではあるが、どうやらあの牢に放り込んだ奴の『伯父の従兄の幼馴染の姪』が駿府の偉いさんの妾だったというのは本当だったらしい。しかも、駿府のお屋形様——今川義元公の片諱を賜っているとなれば、立場的には飯尾様より上だ。
「そういうことで、悪いが嘉兵衛。かくなる上はそなたの家督相続を認めるわけにはいかぬ。松下家の家督と頭蛇寺城と領地は、そなたの弟・源左衛門則綱に与えようと思う」
「お、お待ちを!」
「兄上、見苦しゅうございますぞ。こうして殿のご裁断が下ったのですから、この上は神妙になされませ」
「うぬぬぬぬ……」
くそ……源左衛門の言うとおり、上司の命令は絶対だ。飯尾様からそう命じられた以上、この決定は覆らない。しかも……
「嘉兵衛殿。そなたが松下家の家督を継げぬ以上は、娘を渡すわけにはいかぬ。誠に相済まぬが、寿との婚約はこの場で破棄とさせてもらいたい」
父の葬儀の折には、「喪が明けたら娘と祝言を挙げてもらうからな。逃げるなよ?」と言っていた松下石見守殿も手のひらを返して、追い打ちをかけるようにそのような事を言い出した。
ちなみに、俺の婚約者・寿殿は源左衛門に嫁がせるという。その瞬間、源左衛門はニヤリと笑みを浮かべた。
そして……そのダブルパンチな光景を見て、孕石は「何もそこまでせずとも……」などとほざいているが、意地の悪そうな顔をしてこちらを見る目は非常に満足気であった。
だから、俺は頭を下げて退出する。クビになったからにはこれ以上、こんな気分の悪い茶番劇に付き合う必要はない。
「では、某はこれにて……今までお世話になりました」
最後にそれだけを述べて、この広間から退出した。
(しかし、これからどうするか……)
幸いな事に、藤吉郎の処分についての言及はなかったから引き渡さずに済んだものの、ただこれから収入源が無くなるわけで、そうなると雇い続けることは不可能だ。つまり、状況は史実よりもかなり悪くなってしまった。
(これでは何のために、あいつを守ったというのか……)
まさに、骨折り損のくたびれ儲けということだ。
「嘉兵衛」
だが、頭を悩ませて歩いていたところに声が掛かった。振り返ると、そこに立っていたのはこの城の若殿・善四郎(連龍)様であった。




