第27話 嘉兵衛は、夜更けに忍び込む
天文23年(1554年)11月下旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
夜——。
但馬守殿から話が伝わっていたのだろう。僧兵たちがおとわの部屋の囲いを解いた隙に、俺は部屋へと忍び込んだ。
「誰じゃ!」
ただ……事前に知らせていなかったので、部屋に入った瞬間、物陰に隠れていたおとわに問答無用で後頭部を木刀で殴られそうになった。間一髪にこれを躱して、「俺だ」と告げると……今度は熱烈に抱きしめてきて、そのまま押し倒してきた。
「会いたかったぞ、嘉兵衛!」……と。
「しかし、こんな夜更けにどうしたのだ?ま、まさか……夜這いか!?」
まあ、そう思われても仕方がないかもしれないが……「湯あみをしてくるから、ちょっと待て」と言われて、俺はその腕を掴んで押し留める。そんなに長くは居られないのだ。早く大事な要件を告げなければならない。
「い、いや……そ、そなたはこのまましたいと思っているかもしれぬが、我も女ゆえな……流石にこのままではちょっと。少し臭うしな……」
「あのな……今夜来たのは別に夜這いをしに来たわけではない」
「へっ!?」
「何も教えていなかったからな。これからの段取りを含めて伝えておこうと思ったわけだ」
そして、今の状況はこちらの思惑の範囲内で進んでいる事、更にはこれから名誉を回復するための噂を流して、最終的に関口家の養女となる形で俺の下に嫁いでくる計画になっていると説明した。
「関口といえば、大叔母上が嫁がれた……」
「そうだ。但馬守殿がこれから話を持って行き、内諾を得ようとしている。それなら、和尚が心配しているおとわの子が井伊家の家督を狙う心配がなくなるわけで、尼になれという話もなくなると思うのだ」
もちろん、これはあくまで形式的なものだから、相続権はともかくとして、殿やお方様と縁切りになるわけではない。駆け落ちよりもずっとマシな選択であると俺は説明した。
「……わかったわ。我……いや、わたしもそれでいいわ」
「ん?どうしたんだ。いきなり口調を変えて……」
「だって、とどのつまりはもう井伊家の姫ではなくなるという事でしょう?だったら、あえて姫様ぶった話し方はもう不要かなと」
「……っていうか、今までの話し方はわざとだったのか?」
だから、すっかり騙されたと言うと、おとわは笑った。どうやら、権威だった物の言い方をしなければ、家臣たちに舐められていいようにされてしまうと、これまでは警戒していたらしい。
「しかし、騙していたのはその胸のふくらみだけではなかったのだな……」
「か、嘉兵衛!?な、なぜ、それを知っているのよ!!」
「俺はおとわの事が好きだからな。それくらいの事は調べたさ……」
もちろん、これは藤吉郎が風呂を覗いたからこそ知った話であるが、流石にそのことを言うわけにはいかず、俺はそのように誤魔化した。その上でどうやら心配そうな顔をしていたので、一言告げてやる。「たとえ真っ平であっても、問題ない」と。
「……言っておくけど、真っ平じゃないわよ?少しは膨らんでいるし、それにまだ大きくなる可能性だって……」
だが、そういった恥ずかしそうに俺を見ているその顔は……これまでずっと我慢に我慢を重ねてきた俺にとってご馳走だった。だからつい、たまらなくなってついに、その唇を貪るように口づけをした。
「んん、ふはぁ!ちょ、ちょっと、い、いきなり何をするのよ!」
「好きだ。たまらなく好きだ。もう我慢できない」
「ちょ、ちょっと……あ!だ、だから……そういう事するのなら、せめて湯あみをしてから……むぐっ!だ、だから、早速胸当ての中に手を入れるなって……ああ!!」
しかし、その時だった。背後から「こほん」……と咳払いをする音が聞こえたのは。そして、恐る恐る振り返ってみると、そこにはなぜか和尚の姿があった。申し訳なさそうに頭をかく傑山さんはその隣に立っている。
「……折角の逢瀬を邪魔してすまないが、二人とも少し話をしたい。四半時(30分)ほどしたらまた来るから、それまでに服の乱れを整え直して正座して待つように。よろしいかな?」
否も応もない。和尚は穏やかには話しているが、その目は明らかに怒りで満ち溢れていた。だから、「承知しました」と答えて立ち去られるのを見送る。再び部屋は静かになったが……俺はこれからどうしようかと頭を抱えた。
つまり、やっちまった……と。




