第234話 嘉兵衛は、甲越和睦の仲介をする(1)
永禄4年(1561年)9月中旬 信濃国善光寺 松下嘉兵衛
3日前に激闘があった八幡原を北上し、犀川を渡った俺は上杉軍が本陣を置く善光寺へ向かう。なお、供は藤吉郎と慶次郎、それに10人ばかりの護衛と……喜兵衛だ。
そうだ。大体、この男が余計なことを言ったから、こんな事になったのだ。上杉と和睦がしたいから、話をまとめるようになどと……。
「あの……言いたいことはわかりますが、そんなに睨まないでくださいよ。第一、このいくさで勝てなかったら越後を諦めろと言ったのは大蔵殿で……」
「喜兵衛、言葉は正確に言おうな。あれは、無人斎様のお言葉を代弁したに過ぎぬだろ?それなのに、なんで俺を巻き込んだ。この仕事はそもそも、おまえが命じられたと聞いているぞ?」
出立前に典厩殿から裏事情を教えてもらったが、この男……自分が死ねば、甲府に残した新妻が未亡人になり、その結果として三条の方様のお怒りを買うことになりますが……などと、信玄公を脅したらしい。
しかも、ただ突っぱねただけなら、この後の出世に響くことになるからと、代案として俺を巻き込むことを提案したとか。今川の家臣である俺が矢面に立てば、例え拒まれても命は奪われないからと力説して。
「それにしても、なんで俺が矢面に立てば命は奪われないという話になるのだ?今川は武田と同盟を結んでいるし、俺自身も此度の戦に参加した身だぞ。中立というわけではないと思うのだが……」
「ですが、大蔵殿は京におわす公方様と昵懇の間柄。ゆえに、その公方様との関係を慮って、上杉は相略に扱えないかと思うのです。つまり、和平が成らずとも、バッサリされることはないと」
なるほどな。そういう視点で見れば、確かに命が奪われることはないというのは理解した。尾張に帰ったら、義輝公に何か美味しい物でも贈る事にしよう。請求書は5割増で喜兵衛に送るけど。
「ところで、和平についてだが……俺に全権を委任するというのは信じても大丈夫なのだな?」
「はい、それはお屋形様も仰せられていたではありませぬか」
「あとで、『こんな条件飲めるか!』……とか言って、バッサリと斬られることはないよな?」
「…………」
「おい!」
「……ま、大丈夫でしょう。例えお屋形様が仮にそう思われたとしても、先程申した通り、大蔵殿は公方様と昵懇の間柄。甲斐と信濃の守護職を棒に振っても良いと、そこまでの御覚悟ならば兎も角、やはり御手打ちに遭うことはないかと。ところで……」
「なんだ?」
もうすぐ善光寺だ。喜兵衛はそこで改めて俺に訊ねて来た。和睦の条件とその勝算についてを。
「和睦の条件だが、領地は現状維持。国境は先程渡った犀川とすることを提案しようと考えている」
また、その上で不可侵協定と、上野並びに飛騨への双方不干渉協定の締結だ。
「それは……上杉が関東で北条と争っても介入しない代わりに、武田が飛騨に攻め込んでも同様に上杉は介入しないと?」
「正確に言えば、関東ではなく上野だ。武蔵まで手を出すならば、武田は北条を支援する」
「北条が怒りませぬか?」
「怒ったところで何ができる。今の北条に上杉に加えて、武田と今川を敵に回す余裕があると思うか?」
「それは……」
喜兵衛は苦笑いを浮かべて言葉を詰まらせているが、関東を荒らされた今の北条にそんな余力など残っているはずがない。
むしろ、武蔵に手を出せば、武田が助力するという事で、上杉も上野から南へ兵を進める事を躊躇うと俺は考える。従って、先々の事は分からないが、国力回復の時間を稼げる点で、北条にもメリットがないわけでもない。
「ただ、問題があるとしたら、上杉を頼っている信濃の連中だろうな」
「元守護の小笠原と村上ですか……」
「そうだな。奴らにすれば、納得できる話ではないだろうし……これをどうするか」
そう話しているうちに、俺たちは善光寺に到着した。




