第22話 嘉兵衛は、婚約破棄の段取りを説明する(前編)
天文23年(1554年)11月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
「しかし、嘉兵衛。それは屁理屈ではないか?確かに、駿府のお屋形様の命令を盾に押し通すことはできるかもしれない。だけど、それでは……」
「わかっております。井伊家の中に、それを不服として反発する者が大勢現れる……その事を懸念されているのでしょう?」
「ああ……」
その懸念は尤もな事だ。殿には嫡男がいないから、総領娘であるおとわと殿の従弟である亀之丞様が一緒になって、井伊家を次代に繋げていく。これがこれまで家臣・領民が抱いていた悲願なのだ。余程の理由がなければ、きっと承知しない者も大勢現れるだろう。
だけど、それなら誰もが納得する理由を用意すればよいのだ。
「実は、亀之丞様には昔から好きなお方がおられた」
「いや……そんな人はいないけど。香織は信濃で死んでしまったし……」
「そういう事にするのですよ」
ちなみに、香織とは……どうやら、連れ帰ってきた高瀬姫の御生母らしい。産後の肥立ちが悪くて、今年の春に亡くなられたとか。
「候補としては、奥山家のひよ殿がよろしいでしょう。井伊家の分家筋では最も力がありますし、とわ姫様がダメならどのみち次の候補に挙がるでしょうから」
「まあ……ひよ殿ならば申し分ないな。おとわと違って頭がいいし優しいし、何より顔つきも体つきも俺好みだ。しかし、但馬守。そのひよ殿だが……最近まで飯尾の若殿に囲われていたと聞いたぞ?」
「亀之丞様……それゆえに、これは好機なのですよ」
「好機?」
「飯尾の若殿は、駿府のお屋形様の養女を娶るにあたり、ひよ殿の扱いに困ってそもそもの話、この嘉兵衛を送り込んできたのです。それをもし率先して引き受けるとなれば……」
「飯尾家に恩を売れるというわけか」
「左様です」
そして、飯尾家はこの遠江で力がある家だ。繋がりを強くすれば、先々で井伊家のご当主となられる亀之丞様にとっても損はないだろう。
「それで……ひよ殿を俺の想い人だったとする話は分かったが、それからどうするのだ?」
「亀之丞様が昔、とわ姫様にいじめられていて、それをひよ殿が庇って……裏で寄り添っていたという話をでっち上げます」
「あと、嫉妬にかられたおとわがひよ殿を嵌めて、飯尾の若殿に献上したという話も噂として城下に流します」
そうなれば、おとわはまさに悪役令嬢だ。その噂が広まった所を見計らって、万座の前で糾弾し、婚約破棄を宣言すれば……もはや、誰も文句は言わないはずだ。そもそも、今川のお屋形様のご内意もあるわけだし。
「それで如何でしょうか?」
「なるほど……流石は、和尚が『龍の卵』と称するだけあるな。恐るべき悪賢さだ」
「畏れ入ります……」
龍の卵ってなんだ?と思わないわけではないが、今はそれよりも話を進めることを優先する。さて、この場合問題になるのは、おとわの名誉についてだ。
「だが、それではいくらなんでもおとわが可哀想ではないか?俺自身は苦手だが……嘉兵衛は好いているのだろう?」
「ええ……ですので、全てが終わってからもう一つ噂を流します」
「噂?」
「おとわが亀之丞様とひよ殿に辛く当たったのは、全て井伊家を今川の横やりから守るためだったと。そして、一番悪かったのは……亡くなられた小野和泉守殿だったと」
濡れ衣を被せて申し訳ないが、亀之丞様に味方する方々は基本的に和泉守殿が大嫌いだ。雨が降っても和泉守殿のせいだし、暑い日が続いても和泉守殿せいと、これまで散々この井伊家に来て耳にした話だ。
その上で、小野派の反発は、亀之丞様に防ぐ手を打ってもらう。具体的には、和泉守殿のやったことは全て過去の出来事であるとして、小野派の面々からも側近に加えてもらう事とする。そして、そのうちの一人は……俺だったりする。
「あ……いや、小野派から側近を起用する事は同意するが、そなたは……」
「え……?」
もしかして、おとわを奪おうとしている事を結局許せないのかと……そう思って疑ったのだが、亀之丞様は言った。俺はもうすぐ駿府に売られることが決まっているからだと。




