第21話 嘉兵衛は、それぞれの意志を確認して暗躍を始める
天文23年(1554年)11月中旬 遠江国井伊谷城 松下嘉兵衛
玄関先での出来事の後に開かれた歓迎の宴でも、やはりおとわと亀之丞様の関係は、あまり良好なようには見えなかった。
もちろん、これは俺の願望もあるかもしれない。そうであって欲しいと思っているからこそ、目が曇っているという事も考えられる。だけど、もしそうであったとしても、これ以上ウジウジと悩みたくはなかった。
「な、なによ……」
だから、それから数日後、俺は直接おとわを呼び出してその真意を訊ねる事にした。
「単刀直入に訊くけど、おとわ……実はもう、あいつの事、全然好きじゃないだろ?」
だが、その返事代わりなのだろう。グーパンチが俺の頬を直撃した。
「何を馬鹿な事を言っているのよ!好きよ!全然好き!!あんたなんかよりも全然大好きよ!!」
「嘘を吐くな!おとわ、俺の目を見てもう一度言ってみろ!!俺は、おまえの事が好きだ!この世で一番、いや……前世で出会ったどの女よりもおまえが一番だ!!」
「か、嘉兵衛……な、なにを……」
「だから、本当の気持ちを答えてくれ!おまえの心は誰にある!?俺か、それとも亀之丞か!!」
……これでもし、それでも「亀之丞が好き」と言われたら……きっと俺も但馬守殿と同じように「もう恋なんてしない!」と歌っちゃうんだろうなと思った。
だけど……おとわは答えてくれた。俺の想いに。
「わたし、やっぱり嘉兵衛の事が好き!大好きよ!!でも……」
「わかっている。井伊家の姫としての立場があるよな?」
「そうよ。だから、あなたの気持ちは嬉しいけど……一緒になる事はできないわ」
しかし、おとわはそのように思い込んでいるが、本当にそうなのだろうか。何せ、前世の世界では婚約破棄は物語の王道だったのだ。ありとあらゆるパターンが……読者だったこの俺の魂に刷り込まれている。
だから、おとわの意志を確認できた以上は、一緒になるための道筋は見えているのだ。
「とにかく俺が何とかするから、おとわは何があっても俺を信じて待っていてくれ」
「な、何をするつもり?」
「今は内緒だ。おとわに教えると、きっと顔に出ちゃうからそれで失敗してもいけないし……」
「なによ、それは……」
「だって、根が素直だから、嘘を吐くのが下手だろ?」
今さっきの事だってそうだ。井伊家の姫としての立場を守るつもりであるのなら、ちゃんと俺の目を見て、その上で「亀之丞様の方が好きよ」と言わなければならなかったのだ。それができないのは、ホント、心根が優しい子だからだ。
「……わかったわよ。でも、これだけは約束して。もし失敗したら、わたしを連れてどこか遠くの国に……」
「ああ、今度こそ迷わないよ。例えその先に地獄が待っていたとしても、必ずおとわを迎えに行く」
「ありがとう」
話はこれでお仕舞いだ。俺はおとわを見送り……次のお客様と相対する事にした。但馬守殿に連れられて現れたのは、亀之丞様だ。
「先程見て頂いた通り、俺はおとわをあなたから頂きたい。どうでしょう?譲っていただくわけにはいきませんか」
「譲れるものであれば、こちらとしては喜んで差し上げます。貴殿は怒るかもしれませんが……あの虎と一緒になったら、いつか食い殺されてしまいますから……」
ただ、苦笑いを浮かべる亀之丞様は続けて言った。しかし、それは容易ではないと。
「俺がおとわと一緒になる事が井伊家を継ぐ条件なのですよ。だから……」
「亀之丞様。それは以前の話であって、今は少し違うようなのですよ」
「違う?」
戸惑いの色を見せる亀之丞様に、但馬守殿は1通の書状を見せた。それは、亡き和泉守殿が懇意にしていた今川家の重臣・庵原右近殿からの物で、それによるとすでに亀之丞様が井伊家の世子になることは駿府のお屋形様が認められた話であると記されていた。
「おわかりですかな?すでに駿府のお屋形様は、あなた様を井伊家の世子と認められたのです。つまり……もし、おとわと一緒になられなくても、これをひっくり返してなかった事にできないということなのですよ。例え殿であっても……」
だからこそ、俺たちは亀之丞様におとわとの婚約破棄を勧めた。そもそも、一緒になるのが嫌なのだから、無理して一緒になる必要はないと言って。




