第171話 嘉兵衛は、桶狭間の決戦に臨む(2)
永禄3年(1560年)5月中旬 尾張国沓掛城 松下嘉兵衛
朝比奈様が出立されてから2日。頃合い的には、大高城に入って鷲津・丸根のいずれかの砦にそろそろ攻勢を仕掛けているところだろう。知らせが届いたら、我らもいよいよ桶狭間へ出陣だ。
だけど、そう思っていた矢先に、その朝比奈様から急報が届いた。
「なに?大高城の兵糧が尽きかけていると?」
「当座は我らの兵糧を分け与える事にしましたが、鵜殿勢は空腹のため当てにならず……そのため、鷲津・丸根の両砦への攻撃は、我ら朝比奈勢のみとなり……」
「つまり、兵力が足らないと……」
むむむ、これは想定外の事だった。大高城に入っている鵜殿殿からは何も言って来なかったから、てっきり順調に戦っているものだと思っていたけれども、どうやらそうではなかったようだ。
「我が主が鵜殿様に訊いた話では、窮状を知らせる使者は何度も出したと……」
ただ、今に至るまでその使者はこの沓掛城に来ていない。つまり、織田方によってそれは阻止され続けたと見るべきだろう。さて、どうするか……。
「大蔵」
「はっ」
「次郎三郎に命じて、大高城に兵糧を入れさせてはどうか?そして、その後は鵜殿勢に代わって、朝比奈勢と共に鷲津・丸根の両砦への攻撃に当たらせては……」
両砦への攻勢が弱ければ、信長は危機感を抱かない。よって、誘いには乗らずに清洲城にて籠城する可能性が出てくる。義元公はその辺りを心配されて、そのように仰せになられたのだろうが……問題は次郎三郎に付ける兵の数だ。
「兵糧を入れるだけならば兎も角、両砦への攻勢を鵜殿殿に代わって担うとなれば、2千の兵は必要かと。そうなれば、どこからそれを捻出するかという事になりますが……」
「余が率いる本軍から割けばいいではないか」
まあ、そう仰せられるとは思ったけど……そうなると、問題は砦に入って本陣を守る兵力が手薄となる事だ。もし、俺が知る史実通りに2千の兵で突撃されたら、残る3千の兵で果たして義元公をお守りできるのか。
いざという時は抜け道があるけれども、はっきり言って……不安だ。
「畏れながら、この沓掛城に残る武田勢に、朝比奈勢への援軍をお願いしては?」
あとでこの借りを精算するときが恐ろしい事になりそうだが、この際、背に腹は代えられない。俺は勘助殿にお願いして、2千の武田勢を大高城に派遣してもらうよう進言した。しかし……
「大蔵殿。それではこの沓掛城の守備は如何なりましょう。武田の援軍が前線に出られたら、万一この城に織田勢が攻めてきた場合、我ら1千5百の兵では支えきれないかと存じますが……」
この沓掛城は、尾張攻略における要衝ともいう城だ。しかも、織田勢に奪われてしまえば、三河への退路を遮断されかねない。
城主である近藤殿の言葉でその事に思い至り、流石に俺も武田勢を動かすことを断念した。
「まあ、桶狭間には松井をはじめ、大勢の味方が布陣しているのであろう?そんなに心配せずとも良いではないか、大蔵」
「しかし、太守様。此度に限らず、いくさ場では何が起こるかはわかりませぬぞ。油断は……」
「も、申し上げます!」
「なんだ?」
話の途中となったが、その伝令が口にしたのは正に油断大敵の一言だった。
「馬鹿な……200を超える兵が腹痛で動けないだと?一体何を食べたのかぁ!!」
「そ、それが……」
もしかしたら、信長の忍びに一服盛られたか……などと思っていると、伝令は言い辛そうにしながらこう答えた。瀬名姫様から陣中見舞いとして饅頭が届いたという事で、次郎三郎がお裾分けと孕石に渡して、その孕石が友人たちに押し付けたため、惨事が起きてしまったと。
「はぁ……まこと、油断は大敵だな。大蔵よ……」
「太守様……」
「次郎三郎と主水に伝えよ。腹痛で倒れた連中を含めた2千の兵で、直ちに大高城へ向かえと。任務は兵糧を入れた後に朝比奈勢への支援だ」
ああ、怒っておられる。腹痛を訴えているのは200名余りという事だから、1,800の兵で事に当たれという事だ。補充はどうやら認めないらしい。
ただ、それでも結果としては、義元公をお守りする兵力は3千ということになった。




