第168話 佞臣・飛騨守は、藤吉郎に嵌められる
永禄3年(1560年)5月上旬 美濃国稲葉山城下 斎藤飛騨守
殿の具合があまりよろしくないらしい。昨夜も亡き道三公の悪夢を見られたという事で、評定の間も時折ウトウトなされていた。だから俺は……稲葉山のお城で近習頭を拝命している矜持に掛けて、この問題を解決せねばならぬと思っている。
そして、そんな事を思いながら家に帰ってみると……家人から来客が会ったことを知らされた。
「なに?松永弾正様からの使いだと?」
「木下藤吉郎と名乗っておりましたが……」
その名前に聞き覚えはなかったが、松永様は三好家の重臣にして幕府でも重きをなしているお方だ。流石に無下にはできないと考えて、俺は滞在されているという宿へと向かった。そして、面会はすぐに叶った。
「斎藤家家臣・斎藤飛騨守にございます。それで、木下殿。御用のおもむきというのは……」
「斎藤治部大輔様の事にござる。何でもお体を悪くなされているとか?」
「…………」
なぜだ。なぜ、その事が漏れている?この話は、近臣でも一部の者しか知らぬ話だというのに……。
「人の口に戸は立てられませぬからな。ただ……折角なので、一つだけお教えいたしますが、この話は尾張・清洲城に出入りしている商人から耳にしたと、我が主は申しておりましたな」
清洲城?すると……出処は、竹中半兵衛か!
「……それで、この話を耳にされた松永様はなんと?」
「治部大輔様は、これからの幕府になくてはならぬお方。それゆえ、もし深刻なようであれば、京より医者を遣わそうかと……」
「医者?」
「曲直瀬道三殿にございますよ」
曲直瀬道三?……た、確か、御所様のお体も診られているという、京でも有名な医者だったはずだ。もし、本当に診てもらえるのであれば、これほど心強い事はないが……
「あはは、それには及びませぬよ。我が主は確かに近頃体調がすぐれませぬが、夏風邪を拗らせただけでございまして」
ただ、相手はひと癖もふた癖もあると評判の松永弾正様の事だ。絶対に裏があるし、それに貸しを作ってあとで高利貸しのように取り立てられるのも御免だ。ゆえに、ここは断る事にした。さあ、どう出るか……。
「左様にございますか。夏風邪となれば、曲直瀬殿を派遣するには及びませんな。我が主にもそのように伝える事にしましょう。どうか、お大事にとお伝え下され」
あれ?あっさり引き下がったぞ。これは一体……。
「あ、そうだ」
「何か?」
「我が主より、もう一つお伝えせよと申し付けられたことがございましてな。実は……」
木下殿はそう前置きしてから、続けて言った。武田が今川の要請を受けて、この美濃に攻め込もうと準備を進めていると。しかも、長井隼人正殿が呼応して裏切ると……。
「いやいや、長井殿が裏切るはずが……」
「この数年、東濃に下がられてこの稲葉山にお姿をお見せにならないと聞きましたが?」
「むむむ……」
なぜそのようなことまで知っているのかとは思うけれども、言っている事は事実だ。殿が遠ざけられているのか、それとも長井殿が殿を見限られているのかはわからないが……。
「ですが、仮に……万が一、例えそうだとしても、武田も長尾という敵を抱えていますし、それほど多くの兵を送る事は出来ますまい。攻めてきたとて負ける事は……」
しかし、そういいかけた所で思い出した。半兵衛の奴が……今川が尾張に侵攻を開始したら、すぐに清洲城に向けて兵を送るように要請していたことを。
「如何なさいましたか?そのような恐ろしい顔をなされて……」
「いや、なんでもござらん。ところで、他にお話は?」
「ござらん。主からの伝言は以上となりますな」
「しからば、本日はこれにて失礼します」
木下殿との話が終わり、俺は急ぎ稲葉山城へ向かう。もし、半兵衛の言うとおりにして尾張に兵を送れば、その時武田が東から攻めてくるのだ。回避するためには、美濃から兵を動かすべきではない。
俺は殿に作戦の放棄を進言したのだった……。




