第164話 権六は、半兵衛の策に接するも……
永禄3年(1560年)4月中旬 尾張国清洲城 柴田勝家
又左衛門が斎藤に捕まった。しかも、木曽川を越えた織田領内でその事件が起きたとおまつから聞かされて、儂は早速、殿にその事を知らせた。とにかく、これは約定破りの由々しき事態だと……。
「半兵衛!これは一体どういうことなのかぁ!!」
すると、お気に入りの又左が絡む話という事もあり、殿の動きは早かった。そう、いつもの三倍速といったところか……直ちに竹中殿を呼び出して説明を求められた。「俺を騙したのか!」とか「俺の又左を返せ!」とか喚きながら。うんうん、愛されているな、又左……。
「……あの、前田又左衛門殿は放逐なされているのでは?」
「それは一時的な事だ。反省したら、また俺の傍に戻ってもらう」
あ、丹羽の五郎左が突っ込んだ。そこは聞き流してもいいというのに。しかし、この様子なら、拾阿弥の一件に関する怒りは解けているようだな……。
「そ、それで、半兵衛!改めて訊ねるが、これはどういうことなのだ!?」
「……畏れながら、それは真に我が斎藤の兵による仕業なのですか?」
「なんだと?おのれ……しらを切るつもりか、貴様……」
「柴田殿」
「なにか?」
「その又左殿とやらを捕まえた後は、退いたのでしょう?その斎藤を名乗る兵とやらは」
「ああ、そのようにおまつは言っていたな……」
「では、それは偽物でしょうな。もし、本当に我が主が約定を違えてこの尾張を獲ろうと思うのであれば、そのような中途半端な事はなされないかと。少なくとも5千から6千の兵を動員して、国境の城の一つや二つは落とすか、あるいは囲んでいるか……」
そして、その上で改めて竹中殿は言われた。これは今川が仕掛けた離間の計であると。
「な、ならば、又左は今川に居るというのか!」
「……いい加減、その又左殿の事は脇に置いて頂けませぬか?話が進まなくなるので……」
「い、いや、しかし……又左が……」
「それ以上、又左、又左と四の五の仰せなら、某は美濃に引き返して、正式に手切れに及んだと我が主に報告しますが……それでもよろしいので?今川は駿河と遠江からも兵を呼び寄せて、いよいよ2万に近い兵でこちらに攻めてくるようですが、それでも?」
今川軍2万——。
その竹中殿の言葉に儂も五郎左も村井殿も林殿も佐久間殿も閉口した。殿だけが「それは真なのか?」と声を震わせながら真偽を確かめようとするが、「信じられないのであれば、好きにしたらいい」と突き放されては、殿もどうやら否定する事はできなかったようだ。
「それで、如何なさいます?我らを信じるのか、それとも信じないのか……」
「……わかった。半兵衛の言うとおりだな。此度の一件は、今川の仕業と判断しよう」
「畏まりました。賢明なご判断に心より感謝申し上げまして、その上でこれより作戦を申し上げますが……」
竹中殿はその前提として、近いうちに今川勢が2万の兵を押し出して、この尾張に攻めてくると言って、国境付近の地図を広げた。
「今川は此度の策が成功したと思い込み、上総介様が迎撃に使える兵力は最大でも2千と見積もっている事でしょう。しかも、この数は少なくなることはあっても、増える事はないと」
ただし、斎藤は木曽川を越える事はない。竹中殿はそう言いながら、織田軍の全力を挙げて1万の兵をもって、今川本陣に奇襲をかけることを提案してきた。
パチンと、軍扇の指し示した場所は……桶狭間と呼ばれる場所だ。
「こちらの手の者に調べさせたところ、この桶狭間山に今川は砦を築いております」
「砦だと?何のために……」
「ここで決戦をということなのでしょう。あちらとしても、この清洲での籠城戦は避けたい所。長引けば、兵站の不安もありますし、なにより斎藤勢がやって来ることも想定しなければなりませんからな」
だけど、今川方の想定を上回る1万の兵でこの決戦に臨めば、勝てると竹中殿は言った。それどころか、上手くいけば……総大将である義元の首を挙げる事もと。
「待て、半兵衛。義元がその桶狭間山に来るというのか?」
「正確には来ざるを得ない状況を作るのですよ。まあ……その辺りの仕込みもすでに行っておりますので、お任せいただけたら……」
「わかった。任せる事にしよう」
ただ……そのとき竹中殿の口元が少し緩んだような気がした。




