第163話 小六は、斎藤の兵を装い尾張に侵入する
永禄3年(1560年)4月中旬 美濃国墨俣 蜂須賀小六
「さあ、時は来た!皆の者、やっておしまいなさい!!」
木曽川の畔で我ら川並衆を前にして、悪乗りした藤吉郎が岩の上に上がって号令を下す。その態度にイラついたのか、「調子に乗るなよ、猿!」とか、「あとで頭の毛毟るからな!」とか皆が悪態をつくが、それでも仕事は仕事。
斎藤の旗を掲げて、我らは川を渡って尾張・織田領に侵入した。織田が昨日、再び今川が抑える鳴海城に向けて兵を出したという知らせが届いたからだ。
「それで藤吉郎。我らはどこまでいく?」
「果心先生の話だと、清洲に儂の嫁がいるそうだ」
「それで?」
「このまま清洲城を落して、その花嫁を連れ帰るまでよ!」
うん、これは儂をからかっているな。いくら手薄になっているとはいえ、わずか200にも満たないこの手勢で、どうやって清洲城を落すというのか。
「冗談はその辺りにしておけよ?」
個人的な友誼が少しあったのと、金回りが良い仕事だから引き受けたが、真面目にしないのならそこまでだ。
儂はそういう気持ちを込めて再び訊ね直すと、藤吉郎は苦笑いを浮かべながら答えた。しばらく行った先に村があるから、そこで勝鬨をあげてからさらに少し進んだところでこっそり引き返すと。
「襲撃しなくてもよいのだな?」
「ああ、斎藤の軍勢が国境を越えた。その事を織田が認識してくれたなら、それで十分だ」
しかし、藤吉郎は簡単そうに言ったが……実際にはそんなに簡単な話にはならなかった。
「我こそは、前田又左衛門!斎藤の者共よ!我が槍の餌食となれ!!」
見た目は無精ひげを生やした素浪人のように見える男だが、とにかく並の強さではなかった。村の入口で奴が槍を振るうたびに我らの兵が5人、10人と削られていくのだ。はっきりいって勝負にならない。
「藤吉郎!どうする?このままじゃ……って、どこにいった!?」
「お頭、猿ならあそこに……」
「あいつ……儂らを囮にして一人逃げるつもりか!」
見れば、藤吉郎はすでに遥か彼方の場所にいた。前にうちにいた時も逃げ足は速かったけど、それにしてもこれは許せない。
「あとで絶対に殺す!」
ただ、そう心に誓った所で、この場を乗り切らなければ何もできない。そうしている間にも、前田の槍は着々と我らを刈り取っていくのだ。
「お頭!」
「儂が殿を務める。おまえは皆をまとめて引き揚げろ」
「しかし、それじゃあお頭は……」
「あやつを信じて皆を危険にさらせた責任を取らせてくれ」
だけど、そう覚悟を決めて前田に挑もうとしたその時、その足が止まっている事に気が付いた。
「小癪な!」
「ぬるいな、若僧。顔を洗って出直せ」
前田の相手をしているのは、藤吉郎の荷物持ちだった次郎吉……のはずだった。しかし、その実力を見る限り、明らかにただの荷物持ちではない。我らでは歯が立たなかった前田を軽くあしらっているのだ。
「ぐっ!」
……しかも、ついに前田は力尽き、次郎吉の前に敗れて膝をついた。
「小六殿」
「な、なんでござろうか」
「早く縄を。この男は、ここで死なせるには惜しい故、大蔵様への土産代わりに三河へ連れ帰ろうかと思います」
いやいや、こんな厄介な相手は逃げられたら困るから、さっさと斬り捨てる方が良いと思うが……「早く縄を」ともう一度催促されては拒むことはできなかった。儂は傷を負っていない者たちに命じて、次郎吉殿が取り押さえている前田を捕縛させた。
「しかし……なんというか、お強いですな」
「日々精進の賜物ですよ」
「日々の精進ですか……」
「それよりも、斎藤の兵がこの織田領の村を襲ったという話は、あちらで怯える村人から清洲に知らせてくれるでしょう。我らはそろそろ撤退を……」
「そうだな。皆の者、引き揚げるぞ!」
「「「おう!!」」」
しかし、この次郎吉殿は一体何者なのだろうか。訊いてみても、「ただの荷物持ちですよ」としか答えてくれない。絶対に嘘だと思っても……。
だから、藤吉郎をシメて聞き出す事にした。答えなければ、儂らを見捨てて一人逃げだしたことを責めて、木曽川の底に沈めて魚の餌にするぞと。しかし……
飛加藤——。
藤吉郎の口から出たその答えに青ざめたのは儂だった。凄腕の忍びであるその男は、きっと儂らが裏切ることを許さないと理解して。




