第162話 嘉兵衛は、桶狭間に真田丸を築く
永禄3年(1560年)4月中旬 尾張国桶狭間 松下嘉兵衛
松永様に提供した情報が命取りになるかどうかは、いずれにしてもまだ遠い先の事だ。それよりも、今はこうして鉄砲が手に入ったことを喜び、まずは織田とのいくさに勝利するために手を尽くす。桶狭間に再びやって来たのは、その準備の一環としてだ。
「ほう……流石は真田源五郎だな。見事なものだ」
「これは貸しですからな。その辺りはお忘れなく」
源五郎にこうしてひとつ貸しができてしまったが、それでもこの桶狭間で勝つためには手を緩めるわけにはいかない。
真田丸——。
今から半世紀以上も先の未来に、源五郎の息子・幸村が作るはずの砦をこの桶狭間山の麓に築いて貰ったのだ。信長が山間部の抜け道を通り抜けたとしても、この砦に籠るおとわの鉄砲隊がお出迎えをする。大雨を想定して屋根もつけているし、バッチリな出来だ。
「あと、万が一突破されて、本陣が危うくなった時に備えて、抜け道を用意しました。 どうぞ、こちらへ……」
本陣を置く場所は、山の頂上であるが……そこに不自然な石碑があって、源五郎がポチっとボタンのような石粒を押すと、いきなり地面がパカッと開いた。階段が地中に続いていて、そのまま進んでいくと桶狭間山の南西に位置する長福寺の近くに出ることができた。
「使わないに越したことはないがな……」
「それでもあった方が安心でしょう。某も貸しを返してもらうためには、大蔵様に生きていただかないと困るわけで……」
ただ……その時、通りがかった村人と目が合った。あちらはこれから畑作業なのか、何も気にせず通り過ぎて行ったが、俺はこの村の人間が信長に協力したという話を思い出した。
「源五郎。この村の者たちの事だが……」
「なるほど。確かに砦の築城に関する工事を見られておりますな。では、一人残らず皆殺しという事で……」
いやいや、何でそんな過激な話になるのかと、俺は慌てて配下の者に命令を下そうとした源五郎を止めた。
「しかし、このままでは敵に情報が漏れる恐れが……」
「だとしても、殺す必要があるのか?いくさが終わるまで、三河へ移動させよう。いずれにしてもここがいくさ場となれば、命が危ういことになるし……」
「……真に大蔵様は、お人好しでございますな。しかし、わかりました。此度はご指示に従うことにしましょう」
「よろしく頼む」
こうして、源五郎は配下の者たちに指示を下すと共に俺の元から去っていった。俺もこれで現場視察の用事が済んだことだしと、一旦岡崎へ戻ろうと……そんな事を思っていると、左近がやってきて伝えてくれた。五右衛門が帰って来て、目通りを願い出ていると。
「そうか。会うからこちらへ連れてきてくれ」
「畏まりました」
織田と斎藤は手を結んでいる。状況的には間違いないとわかっているが、より詳しい情報があればあるほど好ましい。
だから、まずは五右衛門の報告に耳を傾けたのだが……その中で聞き捨てならぬ言葉が聞こえて来た。
「竹中……半兵衛だと?」
「御存じなのですか?」
「ま、まあな……」
竹中半兵衛が歴史の表舞台に登場するのは、この桶狭間の戦いが終わった後の事だ。従って、今は無名であり、五右衛門も美濃から派遣されている将の名として単に告げただけだろうが……俺は知っている。
「今孔明」と称えられて、藤吉郎の覇業を支えたスーパー軍師であることを。
「それで……その半兵衛が織田上総介に協力しているというのだな?」
「はい、その通りにございます。ただ、そんなことよりも……例のお探しの藤吉郎の嫁がその半兵衛の側女にどうやらなっているようでして……」
「な、なに!?」
「如何いたしましょう。藤吉郎は処女しか好まないようですし、こうなってしまっては攫ってきたところで……」
いや……それ以前に半兵衛が相手なら、誘拐など成功するはずはない。「それには及ばない」と話を打ち切り、それから五右衛門をねぎらった。「ご苦労だった」と。
しかし、竹中半兵衛か……。やばい、勝てる気が全くしないぞ。




