第156話 嘉兵衛は、少女を誘拐する(前編)
永禄3年(1560年)3月上旬 三河国岡崎城 松下嘉兵衛
桶狭間での戦に向けて、この岡崎城では準備が着々と進んでいる。そんな中、鉄砲を求めて大和の松永様に遣わした五右衛門が帰って来た。
「それで、如何であったか?」
「4月の半ばまでに鉄砲100挺をこの三河に届けると……」
「そうか。それ以外には何か言われていなかったか?」
「いえ、別に……」
「そうか」
自分でも結構ヤバい物を送ったと自覚しているから、どういう反応をしたのか気になっていたのだが、その辺りは松永様と言ったところか。全く動じないとは流石だ。俺などは藤吉郎を騙したことに、未だモヤモヤしているというのに……。
「それと、殿……」
「なんだ?」
「尾張に寄ったついでに、前に申されていた藤吉郎の嫁となるべき少女を攫ってきたのですが会われますか?」
「はい?」
あれ……?一体何の話をしているのだ、五右衛門は。藤吉郎の嫁を攫ってきた??それはどういうことだ???
「おや、まさかお忘れですか?まあ、確かにお酒は入られてはおりましたが……」
「そ、それで、本当に連れて来たの?」
「些か暴れたので、苦労はしましたが……こういうこともあろうかと松平様より強力な睡眠薬を頂いておりましてな。あとは味噌樽に入れてここまで運んできました」
あ、ははは……そりゃあ、あずさと藤吉郎が変なことにならないかと心配して、冗談で攫ってくるように言ったけどさ。本当にやってどうするのだ?しかも、その話って、一昨年の事だというのに。
「もし、都合が悪いのであれば、元居た場所に戻してきましょうか?」
「犬猫ではあるまいし、流石にそういうわけにはいかぬだろう。それで、今はどこにいる?」
ただ……その答えが返ってくるより先に、おとわの「嘉兵衛!」という怒鳴り声が聞こえて来た。
「……まさかとは思うが、おとわに預けたのか?」
「ま、まさか!味噌臭いので、今は千代女に頼んで風呂に……」
「しかし、あの様子だと、おそらくバレているな……」
足音が次第に近づき、「嘉兵衛!」と叫ぶ怒鳴り声は大きくなってきた。だから、覚悟を決めて俺は逃げ出そうとした五右衛門を取り押さえて、おとわを迎えた。
「ちょっと!これはどういうことなのよ!!」
ちなみに、おとわの左手が繋がれた先には、可愛らしい少女が泣きながら立っていた。これがのちに天下人の奥さんになる寧々ちゃんなのかと、やや現実逃避したくはなったが……もちろん、それを許してくれるほど、おとわは甘くはない。
俺はありのままに事情を伝えることにした。即ち、この五右衛門が勝手にしたことで俺は何も知らないと。
「と、殿ぉ!いくらなんでもそれは……!!」
「うるさい!酒の上での戯言を真に受けたそなたが悪いのだ。おとわ……そういうことだからな。悪いのは五右衛門なのだ。わかってくれるよな?」
「ふ〜ん、それで?」
「それでって……」
「例えお酒を飲んでいたとしても、攫ってこいと……そんなクソみたいな命令を下したのは事実なのよね?」
「は、はい……そのとおりであります」
「だったら、同罪よ。お仕置きは……そうねぇ。丁度、鉄砲の練習もしていることだし、二人にはその的になってもらいましょうか。当たったら、ごめんなさいね……先に謝ったから、安心して逝きなさい!」
「「ひ、ひぃ!」」
ダメだ……これは本当に怒っている。しかし、よくよく考えたら、なんでおとわはこんなにも怒っているのだ?人でなしな事をしているのは自覚しているけど、それでも何か違和感がある。そもそも、おとわはそんなに博愛主義者というわけでもないわけでって、あ……。
「……おとわ。言っておくけど、その娘は別に俺の側室にするために連れて来たのではないのだぞ?」
「え?……じゃ、じゃあ、なんでこの娘を尾張から連れて来たのよ。またあの制服を着させて、いやらしいことをするためじゃなかったら、一体何のために?」
「藤吉郎と見合いをさせようと思ってな……」
「見合い?こんな幼い子と、本気で言っている?」
「ああ、本気だ。星の動きを見る限り、この娘……寧々ちゃんは藤吉郎にとって運命の娘だ。もちろん、手違いが色々とあったことは認めるが、それだけは本気で言っている」
端から聞いていれば、きっと頭がおかしいと思われるかもしれない。現に五右衛門だって「言い訳するにしてももっとマシな言い訳を」などと呟きながら、顔を引きつらせているし。
「そう、わかったわ。それなら仕方ないわね」
だけど、おとわは信じてくれた。俺でもその理由はよくわからないが、それならこれで一件落着だ。あとは、寧々ちゃんを藤吉郎に引き合わせて、そして祝言を……
「あの……寧々はわたしの妹ですけど?」
「「「へっ!?」」」




