第142話 嘉兵衛は、腹の内を探られる
永禄元年(1558年)7月上旬 京・吉祥院 松下嘉兵衛
風呂から上がって広間に入ると、そこには御馳走と酒が用意されていた。但し、無人斎様たちが俺たちと代わるように風呂に入ったから、出てくるのを待ってから始めるらしい。ただ……
「だから言ったではありませぬか。1万石ではなびくような男ではないと」
俺から少し離れたところで三好様とやりあっているのが聞こえてくるが、どうやら、あの話は松永様もご存じだったらしい。
「だがのう、いくらなんでも100万石はないのではないか?」
「そこは出世払いで、とか何とか言えばよろしかったのですよ」
「ならば、今からでもそのように……」
いや、聞いてしまったからにはもう手遅れだと思うが……もしかしたら、わざと聞かされていたのかもしれない。松永様が次の瞬間、こちらに歩み寄られて話を切り出された。俺を引き抜くのは諦めるが、その代わりに100万石で今川家との盟約を買いたいと。
「100万石で……盟約にございますか?」
「そうだ。現状支配している三河に加えて、尾張と美濃、合わせて100万石の守護に今川様を任じるように手はずを整えよう。上洛の暁には副将軍の地位も渡す。それゆえに、その時は我ら三好と手を結んで、共に幕府を支えてもらいたいのだ」
つまり、これは連立政権のお誘いだ。尾張と美濃の守護に任じてもらえば、両国を手に入れるための大義名分ができるし、そう悪い話ではないが……さて、どうしたものだろうか。
50年前に同じような事をした周防の大内義興は失敗しているし……。
「……いずれにしても、某の一存では決めかねまする」
「なるほど、確かにそうであるな。では、尾張と美濃の守護に任命する文書に『副将軍となり、三好と共に幕府を支えよ』と条件を付ける。受け取るかどうかは、今川家でよく検討してくれ」
「わかりました。そういう事であれば、その書状を預かって帰る事にしましょう」
「よろしく頼むぞ」
まあ……よくよく考えたら、受けてもいいのではないかと思う。何しろ、三好家隆盛の時代はそう長くは続かないのだ。そして、今の計画で今川家が尾張と美濃を平定したころには……。
「ところで、話は変わるが……例の変わった衣服の事だが、少し伺っても良いか?」
「ああ、あれですか。どうやら気に入っていただけたようで……」
いやあ、特にあの特別室……あれは素晴らしかった。まさに使い方を熟知されている感じがしたし、もしかして松永様は俺と同じく転生者なのではと疑いもした。しかし……
「あれは南蛮の者たちが着用していると聞いていたが、堺に出入りしている南蛮人たちに聞いても誰も知らんというし、そなたは一体どうしてこのようなものを考えついたのか?」
「え……?」
「しかも、この取り扱い説明書に書かれた細か過ぎる設定の数々。なあ、何か秘密があるのではないか。そこの所を詳しく教えてくれぬかの?」
少し気を緩めていたところに飛んできた質問に、折角風呂に入ったばかりというのに背中はもう汗びっしょりだ。ま、まずい。ここは何とか誤魔化して乗り切らなければならない。
「どうした。答えられぬのか?」
松永様が転生者かどうかはわからないけれども、正直にこの質問に答えて俺が転生者であることを教えるわけにはいかない。何となくだが……そんなことをしたら、骨の髄までしゃぶりつくされるような気がするし。
さて、どうすればよいのだろうか。こんな時、前世で読み漁った転生物の小説ではどのように対処していたのか……。
「そうですな……胡蝶の夢と申しましょうか。弾正様、荘子は御存じですよね?」
「ああ、もちろんだ」
「それで……ある日、夢の中に一人のスケベそうな老人が若い女衆と共に現れて、某にあの衣服と使い方を教えてくれたのですよ。もちろん、実地演習で……」
「それはまた……羨ましいですな」
無論、これは大ウソだ。しかし、松永様はこの答えに満足されたのか、それ以上は訊いて来なかった。




