第136話 嘉兵衛は、生八つ橋が買えないことを理解する
永禄元年(1558年)7月上旬 京・将軍山城 松下嘉兵衛
ううむ……昨夜は飲み過ぎて途中から記憶がないのだが、どうやらやってしまったようだ。
「どうだ、大蔵。これなら誰も余だとは気づかぬであろう」
そう言いながらはしゃがれている義輝公の御姿は、まさに天下の風来坊・徳田新◯助そのままであった。まあ、覚えていないのだけども、どうやら「お忍びで松永弾正様に会いに行くには、これくらいの事をしないとダメでしょうな」などと言ったらしい。
「しかし、本当に某と共に参られるので?」
「なんだ、大蔵。三好との和平を勧めたのはそなたではないか」
「いや、そうではございますが……あとで六角様が知ったら、怒るのではないかと思いまして……」
和睦が成ったらお引き取り頂くことになるだろうけれども、三好家との話し合いにおいて少しでも有利な条件を引き出すためには、六角様のお力は必要だ。昨夜は酒の勢いとその場のノリで勧めたけれども、冷静になればこれはマズいと理解している。
だから、こうしてノリノリのところを申し訳なく思うが……まずは、六角様に話を通されることを勧めようとした。しかし……
「ああ、それには及ばぬぞ」
「無人斎様?」
俺と同じく昨夜は飲み過ぎたのかもしれない。二日酔いがどうやら酷いらしくで、頭を押えながら無人斎様はこの場に現れたが……その無人斎様は六角様の御内意だといって俺と義輝公に教えてくれた。六角様も本音ではもういくさを止めて帰国したいようだと。
「だからな、儂に御所様を説得してくれと泣きつかれたのよ。六角としては、三好に頭を下げたくないから、幕府が勝手に和睦をしたという形にできないかとな」
幕府が勝手に和睦をしたとなれば、六角家としては面目を潰されたとして怒ることができて……今後、京の政情に巻き込まれることを避けられるというメリットがあるそうだ。今のご当主・義賢公は、どうやら足元をまずは固めたいようだと無人斎様は付け加えられた。
「つまり……余は六角にも見捨てられたということか」
「よろしいではありませぬか。六角は頼りにならなかった……その事がわかったわけですから、それだけでも」
「そうだな……では、これで心置きなく、三好との和睦を進めるとするか」
それでも和睦に反対する幕臣たちや六角家の一部の家臣たちの目もあるので、お忍びでこの城を出なければならない。義輝公には無人斎様の供侍に紛れ込んでもらって、そのままこっそりと城を後にした。そして、京に向かって西へと進路を取る。
「あ……そうだ。途中、清水寺に寄ろうと思うのですが、構いませぬか?」
「それは構わぬが、何用か?」
「いや、生八つ橋を買っておこうと思いまして」
「生八つ橋?なんだそれは……」
あれ?天下の将軍様ともあろうお方がご存じないのかと思ったけれども、ここは我慢して説明した。餡をニッキの餅で包んだ甘い菓子であることを。
しかし、本当にご存じないのか。義輝公はさらに首を傾げられた。
「ああ、そうでしたね。御所様は長く京を留守になされていたのでしたな……」
「あのな、大蔵。確かに余は朽木谷にて暫し過ごしたが、侮るではないぞ。京の情報は近衛の従兄殿からも知らされておるし、これでも情報通を自負しておる」
「だったら、なぜ生八つ橋の事をご存知ではないので?京のお土産と言ったら、それしかないと存じますが……」
「だがな、知らぬものは知らぬのだ。それに清水寺の辺りに売っている店があると言う口調だが……あの辺りは焼け野原だぞ?」
「え……?」
焼け野原?一体、何を言っているのだと思って先に進むと、京の市街地が見えてきた。しかし、その景色は俺がかつて修学旅行で見たものとはあまりにも乖離があり過ぎた。何しろ、本当に何もないのだ。
「あの辺りが清水寺だが……どうだ、信じてくれたか?」
信じざるを得ないと理解するも、同時にマズいと思った。手に入らなかったからと手ぶらで帰ったら、きっとおとわに殺されると……。




