第132話 嘉兵衛は、将軍様に拝謁する(1)
永禄元年(1558年)7月上旬 京・将軍山城 松下嘉兵衛
駿河を出発してから遠江、三河を経て、そこから海を渡り伊勢、伊賀、近江と進み、俺は今、京の東に位置する将軍山城に居る。目的はお屋形様から預かったお土産を渡すため、将軍・足利義輝公に拝謁するためだ。
「……よいか、大蔵。絶対、この後松永弾正に会いに行くことを御所様に漏らすなよ?」
「わかってますって、無人斎様。そのようにクドクド言わずとも……」
ただ、現在その義輝公は、松永様が属する三好家と絶賛抗争中であり、無人斎様曰く、三好方と会う事がもし知られたら、間違いなく機嫌を損ねるから……と、要は内緒にしておく必要がある事だ。
まあ、知られたからと言っても俺は今川家の使い。「この裏切り者が!」とか言われて斬られたりはしないが……無人斎様の仰せもごもっともな話だ。
「御所様のお成りにございます」
だから、迂闊な事は言うまいと気を引き締めて、上座に現れた義輝公を迎えた。
「面を上げよ」
「はっ」
「陸奥守も久しいな。しかし、その頭……出家したのか?」
「はい。儂ももう歳にございますからな。家督を倅に譲ってこのとおり……」
「そうか」
無人斎様は以前上洛した際に、この義輝公の知己を得て親しくされたとか。そのため、出だしはこうして和やかな雰囲気の中で会話が弾む。
「ところで、そこにいるのはそなたの倅か?今日は今川家の使いできたとは聞いていたが……」
そして、ようやくこちらに御所様の目が向かれたので、俺は改めて名乗りを上げる。
「今川家家臣、松下大蔵少輔にございます。無人斎様とは親しくさせて頂いておりますが、残念ながら息子ではございませぬ」
「そうか。確かに無人斎とは違って、人の好さそうな顔をしておるな」
「御所様……儂とは違ってとはいかなる意味でございましょうや?」
「なんだ、自覚がないのか?そなたはもう一度、鏡で顔を見た方が良いと思うぞ。そうすれば、そこには悪人の顔が映っているから、流石に今の言葉の意味が理解できるであろう」
その義輝公のお言葉に思わず笑いそうになるが、「御所様!」と無人斎様が抗議の声を挙げられたのでそこはグッと我慢をした。
「それで、無人斎の子ではないと理解したが、大蔵少輔……そなたの用向きは?」
「はっ!今川のお屋形様より、御所様へ陣中見舞いを献上するために参りました。目録はこちらに……」
「ほう、治部大輔がのう。いやはや、ずっと冷たくされてきたから余の事を忘れておると思っていたが……そうか、治部大輔のう」
あれ?あまり感触がよろしくないようだ。先程まで笑顔だった義輝公のお顔がみるみるうちに渋いものに変わった。
「ちなみに……この後の予定はどうするつもりだ?」
「折角こうして京に参ったので、寺院仏閣を巡ってみたいと思っております」
生八つ橋は確か清水寺の辺りで売っていたはずだ。忘れたらおとわに殺されかねないので、必ず寄らなければならない。
だけど、そんな事を考えていたら、周りの雰囲気が一層険しくなった。隣に座る無人斎様も頭に手をやってため息を吐かれているし……。
「あ、あの……何かまずい事でも言いました?」
「あのな、大蔵。今、京の寺院仏閣には三好の陣が置かれているのよ。そこを巡ると言えば……わかるよな?」
「つ、つまり、三好方にもあいさつ回りをすると……そう取られたと?」
もっとも、松永様と面会するのだから、嘘はついていないのだが……予め無人斎様に釘を刺されていた通り、この場でそれを感づかれるのは非常にマズい話だ。
「とにかく、誤解を解け。今はそれしか……」
だから、無人斎様の仰せになられる事は理解できるし、ここは世間知らずの田舎者が単に物見遊山をしたかっただけだと説明したら、義輝公やその近臣たちも矛を収めてくれるかもしれない。
しかし、それで果たしていいのだろうか。ここはそれで逃れる事は出来ても、いずれ俺が松永様と会ったことが義輝公のお耳に入ったら……それはそれで、今川家の信用を貶める事になりやしないか。
そう考えた俺は……義輝公に正直に答える事にした。この後、松永弾正様に会いに行くと。




