第130話 小平太は、上洛のお供をする
永禄元年(1558年)閏6月下旬 駿河国駿府 榊原康政
殿が上洛するということで、我が榊原家からも俺がお供に加わる事になった。ちなみに、諱『康政』の康は三河の松平様から頂いた物ではない。あちらが後から改名してきたのだ。祖父の清康公にちなむとかなんとか言って。
「すまぬな、小平太……ごほごほ、本来ならば俺が行かねばならぬというのに……」
そして、まだ年若いとはいえ、元服している俺は殿の下で小姓として働いている。一方で兄上は……寝込むまではいかないものの病勝ちで、一応は弥八郎様の配下となっているが、こうして部屋で養生する日が続いている。
「兄上、何度も言ったではありませぬか。お気になさらないでと」
「し、しかしだな。おまえにはいつも苦労ばかり掛けて申し訳ない。この体がもう少し強ければ……」
だから、兄がこのように病弱である以上、次男である俺が頑張らないと榊原家の再興はきっと覚束ないだろう。母上からもこっそりそう言われている。俺だけが頼りなのだと。
「まあ、京に行けば、良き薬もあるかもしれませぬ。そうくよくよなさらずに、今はお体の事だけをお大事になさってください」
だけど、俺としては兄上と力を合わせて共に榊原家を再興したいと考えている。良き薬は例えあったとしてもきっと高いだろうが、この体を担保に殿からお金を借りてでもその時は買い求めたいと思っている。
「では、行ってまいります」
「気をつけてな」
やがて、集合の刻限となったので、俺はこの松下屋敷の広間へと向かう。今回殿のお供をするのは、島左近様とその配下の方々と荷物持ちが数人、それとあとは小姓仲間である松下源太郎殿と俺の予定であったが……
「えぇ……と、源五郎も行くつもりなのか?」
「当然にございましょう。某はお屋形様より松下様を監視するように仰せつかっておりますゆえ」
「そうか……」
真田源五郎様——どうやら、若くても一癖あるこのお方も此度の旅に加わるようだ。殿はこうして同行を認められたが、源太郎殿が明らかに嫌そうな顔をしている。
「まあ、そのように嫌わないでくれよ。お互い年も近いんだし、楽しく行こうぜ」
「は、はぁ……よろしくお願いします」
そう言いながらも、殿の監視役だけにきっと我らから情報を引き出そうとするつもりなのではないかと心の内では警戒する。つい先日などは、殿がお鈴殿の胸を触ったことを話したら、おとわ様に密告されて……大変な目に遭ったのだ。殿もだけど仲裁に入った我らも。
だから、同じ轍は踏むまいとまだ治りきっていない青あざに誓う。親しく話しかけられても心を開いてはならない相手なのだと。もう巻き込まれておとわ様に殴られるのは御免だ。
「ああ……そうだよな。此間の事があったから警戒するよな?だが、先に申し開きしておくけど、此間のあれはこちらとしても本意ではなかったのだ」
「あの……意味が分かりませぬか。おとわ様に密告したのはご自身ではないと、そう言われたいので?」
「その通りだ。俺だって甲斐のお屋形様にお知らせしたはずの報告書がおとわ様の手にあったのを見て驚いた口だ。まさか監視しているはずの俺がおとわ様に監視されているとは思っていなくてな……」
そして、苦笑いを浮かべながら、「おとわ様って恐ろしいな」と呟かれた。それについては全くの同意見だ。源太郎殿も頷かれている。
「俺は『この指が悪いのよね?』とかニコニコしながら殿の指をへし折ろうとしたおとわ様の笑顔を……きっと生涯忘れないと思う」
「それは俺も同じだ、源太郎殿。三条のお方様も恐ろしいお方ではあったが……こちらのおとわ様も恐ろしいな。あちらは妖狐ならこちらは猛虎というか、なんというか……」
「ちなみに、おとわ様が猛虎だというお話は、甲斐にお伝えに?」
「小平太殿……それはやめた。先日と同じように万が一おとわ様の手に報告書が渡ったら、命を落とすこと間違いなしだからな……」
何だかんだと言っても、殿には愛情があるから……あの日のおとわ様の仕返しは、みぞうちへの渾身の一撃を5発で済ませてもらっていたけれども、他の者がそれで済ませてもらえると思ったら大間違いだ。噂では以前、藤吉郎様が半殺しになったというし……。
「無論、モノノフに生まれたからには死を恐れたりはしないが……痴話げんかに巻き込まれて虎の牙に八つ裂きにされて食い殺される最期だけは御免蒙りたい。それは貴殿らも同じであろう?」
「それは同感だな」
「だろ?」
……だけど、結局俺たちから聞きだした話を外に漏らそうとしたことには変わりない。やはり、心を許してはならない相手だと再認識して、俺は殿の後に続いて松下屋敷を出立した。




