第128話 嘉兵衛は、上洛を反対される
永禄元年(1558年)閏6月中旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
「まあ、そんなわけで暫く京に行ってこようと思う」
「「「はい?」」」
無人斎様がお見えになられた翌日の昼、関口家からおとわが、夜勤明けの藤吉郎と弥八郎が奉行所から帰って来たので、こうして上洛したいと告げたのだが、返ってきた反応は一様に良くはなかった。
「ちょっと!わたし、身重なのよ!あんた、まさかその事忘れてないわよね?」
あ、そういえばそうだった。体型があまり変わっていなかったから失念していたけど、おとわの産み月は9月か10月だった。
「ま、まさか、ちゃんと覚えているさ。そろそろ子の名前も考えないといけないと思っていたところだし……」
ちなみに、男の子ならば決まっていたりする。「虎松」だ。お義父さんの幼名らしく、絶対これにしろと前に厳命されていたのを思い出したのだ。違えるわけにはいかない。
「とにかく、京には生八つ橋という甘くておいしいお菓子があるから、お土産に必ず買って帰るからさ……」
「生八つ橋……甘くておいしい……」
「もちろん、産み月までには帰ってくるから行かせてくれないかな?」
「そ、それなら仕方ないわね。あ……言っておくけど、甘い物に釣られたわけじゃないからね!これもお仕事だと思って我慢するのよ。そこのところは間違えないでよね!?」
「わかっている……」
ふっ……チョロい。まあ、何はともあれ、これでおとわの許しを得た。だから、これで最大の障害はクリアできたとホッと胸をなでおろしたのだが……次は弥八郎が異議を申し立てて来た。惣目付のお役目を一体どのように考えているのかと。
「まさかとは思いますが、我らに丸投げなさるおつもりではないでしょうな?」
「え、えぇ……と、ダメかな?」
「ダメに決まっているでしょう!某も藤吉郎殿も、こうして夜通しで働かなければならない程、引継ぎ業務が忙しいのですぞ!」
「左様、弥八郎殿の申される通り!この上、惣目付の組織作りまで押し付けられたら、いくら我らが若いとはいえども流石に身が持ちません!」
「あと……京に行くにあたって、どなたをお連れするのかという問題もございますな。人の少ないご当家では……おっと、失礼しました。余計な口を挟みまして……」
「いや、源五郎の申す通りだ。殿、そういうわけですから、どうかご再考を!」
「ご再考を!」
う、うむぅ……確かに皆の言う通りなのかもしれない。今は大事な時期だというのは重々承知しているし、仕方ない。ここは取りやめに……
「殿!」
「どうした左近。そのように慌てて……」
「た、ただいま、玄関先に京からの使いと申す者が来ているのですが……それが、三好家の重臣である松永弾正様からだと……」
「松永……弾正様?」
一瞬、何を言われたのか理解が追い付かなかった。松永弾正……次第に前世の記憶が追い付いて、どういう人なのかを思い出してきたが、呼吸をするように主を裏切り謀反を起こす、戦国一のアンタッチャブルな男の像と重なった。
つまり、この時代で長生きをしたければ、絶対に関わってはダメな男だ。確か義理ワンとか呼ばれていたような気がする……。
「えぇ……と、今日はお日柄が悪いので、いや、お腹が痛いので……」
「殿……流石にそのような嘘はマズいかと。それに本人が来たというのであれば兎も角、使者ならば会うだけ会われては?」
「そ、それもそうだな。よし、左近。応接間にお通ししてくれ。くれぐれも丁重にな」
「承知しました」
しかし、一体俺に何の用なのだろうか。接点などなかったとは思うが……とそんな事を思いながら、藤吉郎と弥八郎を連れて応接間へ踏み込む。
「某が松下大蔵少輔だが……」
ただ、そこに座る道士のような姿をした男を見て、藤吉郎が「あっ!」と声を上げた。
「藤吉郎?」
「殿、この人ですよ!儂に西に向かえば美人の嫁さんがいると教えてくれたのは!!」
「なに?」
確か以前、藤吉郎は占い師から教えてもらったと言っていたが……なるほど、占い師のように見えなくもない。
「……となれば、もしや以前より、この今川領におられたのかな?」
「……左様。そして、探しましたぞ」
何を……と思っていると、その男は包みを開けてその中身を俺たちに見せた。そこには、女子高生の制服——セーラ服とスカート一式が折りたたまれた状態で置かれてあったのだった。




