第120話 嘉兵衛は、藤吉郎の暴走に頭を抱える
永禄元年(1558年)閏6月上旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
次郎吉と千代女からのお礼であるが、うちの近くに住み着いて源五郎の動きを監視してくれることで折り合いが付いた。ただ……
「なぜだぁ!なぜ、千代女があんな冴えない男と一緒にぃ!!」
自分の事を棚に上げて、よくもまあ言うものだと思うが……近くに住む以上、どうしても藤吉郎と顔を合わさずに、というわけにはいかずに、ショックを受けて今、激しく泣いていた。
「藤吉おじさん、泣かないで。あずさが『いいこいいこ』してあげるから」
「おお〜ん!あずさ様ぁ!!」
「そうだ!あずさが大きくなったら、おじさんのお嫁さんになってあげる!」
……しかし、何だろうこのイラっとする光景は。いや、流石にこれは幼女の戯言。いくらモテないといっても真に受けたりはしないし、血迷ったりはしないと思うが……何だか無性に腹が立つ。
「そういえば、お鈴殿」
「なに?」
「藤吉郎との話はあれからどうなったので?」
そうそう、お鈴殿には甲斐に向かう前に一緒になってくれないかと頼んでいたのだ。顔は兎も角、能力はあるのだから仙千代の後見を含めて考えたら優良物件だと思うのだが……
「ああ、その話ね。申し訳ないけど……」
「ダメか」
「ええ、身体の相性が良くなかったみたいでね」
お鈴殿は苦笑いをしながら、事の次第を教えてくれた。要はヘタクソだったと。
「太ももで少しこすっただけでイっちゃってね……」
「あの、別にそのような詳細までは……。しかし、それは1回だけなのでしょう?何度も練習を重ねたら……」
「わたしもそう思ったのだけど、なんか避けられているのよ」
「避けられている?」
「まぁ……男の矜持ってやつが傷ついちゃったのかしらねぇ。兎に角、わたしには手に負えないわ。お世話になっているから、何とかしたかったけど……」
そうか……そういう事情なら仕方がないか。しかし、中々上手く行かないものだな。いっそのこと、清洲から寧々ちゃんを攫ってくるか。いや、流石にそれはマズいよな……。
「それじゃあ、仙兄ぃはわたしと藤吉おじさんの赤ちゃんよ!」
「え……なんで、僕が赤ちゃん?」
「もう!つべこべ言わないでバブバブ言って!愛がさめたらどう責任取ってくれるのよ!!」
うん……どうやら、全然マズくないようだ。流石はおとわの娘というか、まだ3歳だというのに今のあずさの目は虎の如く、獲物を狙っている目をしている。どうやら、時間的な猶予は俺が思っている以上に残っていないのかもしれない。誘拐は五右衛門に頼むとしようか……。
「殿、三浦様と朝比奈様がお越しになられて、急ぎお話ししたいことがあると……」
「三浦様と朝比奈様が?」
だけど、そんな中に聞こえて来た左近の呼びかけに、一体なんだろうと思って腰を浮かしたところ、どうやら本当に急ぎの案件のようで、お二人は案内を待たずに血相を変えてここにやって来た。
そして、「これは一体どういうことなのか!」と、俺に何やら書かれた紙を突きつけて来た。
「なになに……先の花倉の乱において、死んだはずの玄広恵探が生きていて、寿桂尼様が秘かにこれを支援……しているだとぉ!!」
しかも、告発人は勘定奉行である俺の名。これが今朝方、今川館の全ての門に張られていたらしく、お二人は事情を問いただそうとしてくるが、全くもって俺も身に覚えはない。
「本当に知らないのか?」
「ええ、まったく。これはどういう……」
「ああ、それですか」
「藤吉郎?」
「儂が五右衛門に頼んで張らせましたわ。儂がモテないのはみんなあのババアのせいですからな。証拠の帳簿も押えた事ですし、そろそろ排除させていただこうかと思いまして……」
藤吉郎がモテないのは別に寿桂尼様のせいではないと思うが……その帳簿を差し出されたので、俺は三浦様と朝比奈様と共に内容を確認した。そこには、寿桂尼様から『薬代』として毎月10貫 (120万円)程度、友野座に支払われている形跡があるが、藤吉郎はこれを不透明な支出だと断じた。
「待て。寿桂尼様なら、それくらいのお薬を毎月購入しても不思議では……」
「朝比奈様。寿桂尼様に処方される薬は、全て御典医様が用立てている物でしてな。そちらの支払はこちら。御典医様への支払に含まれているのですよ」
そして、続いて見せられたのは友野座の帳簿。そこには三河の大樹寺に毎月10貫支払われている記録が確かにあった。
「まさか……」
「そのまさかですよ、三浦様。その寺に玄広恵探が匿われていたのですよ」
大樹寺といえば、松平家と縁のある寺だ。それゆえに、すでに次郎三郎が捕らえて、こちらに連行していると藤吉郎は我らに告げたのだった……。




