第13話 ひよは、容易く口説かれない
天文23年(1554年)7月中旬 遠江国井伊谷城 ひよ
幼馴染の鶴君こと、今を時めく小野但馬守殿に助言をしたわたしは、その足で松下殿の下へと向かう。さっきも言ったけど、男女の仲になるつもりはないとはいえ、敵に回すつもりもないから、少なくとも今日はそれなりにお付き合いするつもりだ。
「ささ、某が作った澄酒。どうぞ、ご賞味下され」
「ありがとうございます。本当においしいですわ」
うん……これは社交辞令でも何でもない。どうやって作ったのかは知らないけれども、その能力が凄い事は認めざるを得ない。
すると、この機会を逃すまいとばかりに、松下殿は話を切り出してきた。
「ところで、素敵な歌を詠まれると聞いたのですが……」
「あら?それは誰に聞かれたので……?」
「え……?」
うふふ、面白いわね。顔色が変わったわ。まさか、飯尾の若殿様に教えてもらったとは言えないだろうし……さて、どうする?
「……いやぁ、先程姫様から伺いましてな。それで、今度できればでいいのですが、某に歌をお教え願えたらと……」
「それなら、明後日に姫様にお教えしますのでその時にお越しくださいませ。共に学ばれるお方が居れば、姫様も少しはやる気も出るでしょうし」
「は、はぁ……あ、明後日はそうだ。所用があってその……」
「じゃあ、他の日でもいいですわ。お待ちしておりますね?」
「け、検討します……」
あはは、どうやら異能の持ち主だけど、男女の駆け引きはまだまだね。どうせ、歌などそっちのけで、これを口実にわたしを口説こうと思っていたんだろうけど……わたしはそんなに甘い女じゃないのよ。よく検討してから、出直すことをお勧めするわ、坊や。
「おい、ひよ!二人で何を話しているのじゃあ!!」
だけど、そんなわたしたちの下にその姫様がフラフラしながら近づいて来た。どうやら、飲み易いからとジャンジャン飲まれたようだ。
「あれぇ……嘉兵衛がふたり、いや三人いるわ……」
「ちょっと、飲み過ぎですよ。大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ!おとわは、まだまだいけるわよ!!」
ああ、どうやら全然大丈夫じゃないようだ。松下殿も同じ思いだったようで、「藤吉郎。すまぬが、すぐに水を持ってきてくれ」……と、下男に指示を出してくれていた。
「それで!もう一度きくけど、なにをはなしていたのよぉ!わたしをのけ者にするなんてズルい!ズルい!ズルい!」
「……姫様のお歌の授業に、松下殿をお誘いしたのですよ。そうすれば、姫様のやる気も出るのではないかと思いまして」
もしかしたら、嫌がるかなと思った。姫様は歌に限らず非常にお勉強が嫌いなのだから。だけど……
「なに!?嘉兵衛が我に愛の歌を詠んでくれるのか!」
意外な事に反応はそう悪くはなかった。
「……いや、詠みませんから」
「いや、詠め!このおとわを愛でて、心より愛している事が熱烈に伝わる歌をな!」
「……いや、詠みませんから」
「もし、出来が良ければ、少しは振り向いてやっても良いぞ!ああ、楽しみじゃのう!!」
「だ・か・ら!絶対に詠みませんって!!」
うふふ、今の姫様は酔っぱらいなのですから、そんなにムキにならなくてもいいのに……この松下殿は面白いわ。でも、良い人なんだろうなとは思う。男女の仲になるつもりはないけど。
「だ・か・ら!絶対に詠むのじゃ!さもなくば、我は泣いちゃうぞ!!」
それにしても……姫様は一体どうしたのだろうか?一見、酔っ払われて揶揄われているようにも見えるけど、まさか本気で松下殿が好きだったりするのかな。まさか、剣の勝負で負けたから好きになった……とか、そんなチョロい事になっていないわよね?
「は・や・く!」
いや……全然あり得るか。はっきり言って、単純な方だし、それに頬を染めてメス猫の顔をしているし……。
「はぁ……わかりました。そこまで申されるのであれば、詠みましょう。よろしいですか?いきますよ!」
「うん!」
「……月はただ、ふかふばかりの眺めかな。心のうちのあらぬ思ひに」
「風雅集の祝子内親王の歌ですか」
「ええ、泣かれては流石に困りますからね。取りあえず、これでお茶を濁しました」
もっとも、姫様は……というと、そもそも勉強嫌いだ。きっと理解が追い付かなかったのだろう。松下殿の歌を聞いている最中に限界を超えたのか、今は健やかに寝息を立ててお休みになられている。
そんなご様子を松下殿と共に見て、同時にため息を吐いたのだった。




