第117話 源五郎は、駿河に送られる
永禄元年(1558年)6月中旬 甲斐国躑躅ヶ崎館 真田源五郎
俺が所属するお屋形様の近習衆には、代々先輩から後輩へと受け継がれた申し送り事項というのが存在する。
『夜、お屋形様のお召しを受けたならば、それはそういう事だから覚悟しなければならない』
故郷から人質としてこの館にやって来た時は、「そういうことってどういうこと?」……と、幼過ぎてその意味が何なのかを理解ができなかったが、そんな俺も今や12歳。当然だけど、この言葉の意味をわからぬほど子供ではない。
だから、今宵そのお召しを受けて……俺は青ざめた。
「なぜだ……そういうのは、もう少し年上が対象だと言っていなかったか?」
「きっと、趣味が少し変わられたのだろうさ。なぁに、痛いのは一瞬でな。あとは天井のシミを数えていたら終わるから、力を抜いて気楽にな」
身支度をしっかり整えて、先輩小姓の金丸殿からそう言われて送り出されたけれども……例えその結果が春日様のように大出世の道へとつながるとわかっていても、嫌なものは嫌だ。本音を言えば、今すぐ逃げ出したい。
「お屋形様、真田源五郎が参りました」
「苦しゅうない。通すがよい」
もっとも、人質の我が身にそれが叶うはずもなく、俺はこうしてお屋形様の部屋へと足を踏み入れた。きっと朝まで帰れないだろうなと覚悟を決めて。
「源五郎、折り入ってわたしから話があります。そこに座りなさい」
しかし、これは一体どういうことなのだろうか。お屋形様だけしかいないと思っていたのに、そのお隣には三条のお方様の姿があるではないか。ま、まさか……3人で?お尻の処女だけでなく、童貞までも俺はここで奪われることになるのか……?
「……源五郎何を怯えているのですか。早く座りなさい」
「は、はいっ!」
いけない、いけない。三条のお方様は絶対に怒らせてはいけないと三枝殿が言っておられたな。お屋形様にも容赦なく苛烈なお仕置きをされるとかで。
だから、俺は言われた通りに着座した。すると、三条のお方様は優しく微笑まれて俺に告げられた。これより駿府に行って松下大蔵少輔殿の見張りを行えと。
「あの……見張りですか?」
「やつは、お屋形様の醜聞に関する秘密を知りました。もちろん、口外しないと誓わせましたが、何かの拍子で約を違える可能性があります。その時は速やかに甲斐へ伝える事……これが表向きの役目となります」
表向きか……。つまり、本命の役目は即ち、今川家の情報を流すことにあるのだな。
「期限は無期限。わたしが良いというまで甲斐への帰国は禁止します。国境を越えたら、命がないと思いなさい!」
「畏れながら……」
「なに?」
「今川家の情報を得るためには、松下殿の信頼を得なければならないでしょう。時には今川家に利する結果を招くことになるやもしれませぬが、それはよろしいので?」
「ふふふ、流石はお屋形様が『我が目』と評して期待しているだけはあるわね。説明するまでもなく、己の真の使命を理解できるなんて……話が早くて助かるわ」
「お褒め頂きありがとうございます」
「それで、今の質問に対する答えだけど……武田家の利益に反しないのであれば、何をやっても構いません。無論、報告は必須ですけどね」
武田の利益に反しない限りか。これは中々難しいな……。
「仮に武田家と今川家が手切れになった場合は……?」
「その時は帰ってきなさい。残ったら裏切ったとみなすからね」
「ちなみに、某に対する監視は?」
「もちろん付けるわよ。誰なのかは教えないけど、何かあれば、あなたのお父さんとお兄さんたちにも類が及ぶから、そのつもりでね」
「承知しました。心して任務を遂行するようにいたしましょう」
「よろしくね」
これで話が終わって、俺は部屋から退出する。それにしても、噂通りに恐ろしいお方だったな。あのお屋形様もずっと何も言えずに黙り込んでいたし、いずれ嫁を迎えるにしてもああいう女性はできれば避けたいところだ。




