第110話 嘉兵衛は、飛加藤と司法取引する
永禄元年(1558年)5月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
夜——。
指定された駿府郊外の荒れ寺に、その男はやって来た。中肉中背で、どこにでも居そうな雰囲気を醸し出しながらも、それだけにどこか油断できないようにも思えた。
「武田無人斎じゃ。ほれ、この通り約束の物は持ってきたぞ」
ちなみに、今の俺は無人斎様の従者のなりをして、砂金の入った巾着を載せた三方を手に持っている。用意したのは俺なのだからと、無人斎様にその役割を任せてもらったのだ。この男が探している飛加藤であるのか否かを確認するために。
「さあ、どうぞお確かめを」
「ほう……先に砂金を差し出すか。それで、お主何者だ?」
ただ、これはどうしたことか。弥八郎が立てた作戦は初手から見破られてしまったらしい。
「何を申しておるのかの?この者は儂の従者だが……」
「無人斎、俺の目は節穴ではないぞ。こちらはまだ何もそちらが求めている物は出してもいないのに、なぜ何の躊蹴いもなく、その砂金を先にこちらへ渡そうとするのか?」
「そ、それはだな……」
「それにその男。さっきから俺の顔をじろじろと観察していたが……気づかれないとでも思っていたのか?」
ああ、なるほど。これが飛加藤ということか。俺としてはバレないようにとそれほど長くは観察していなかったのだが、まさか感づかれるとは……この辺りは流石はというより他にない。
「それでお主、何者だ」
「駿府町奉行の松下大蔵少輔だ」
「町奉行?……そうか。これは罠だったというわけだな」
「待て。罠であったなら、そもそもこんなにあっさり名乗るわけがなかろう」
「では、他に目的がある……ということか?」
「ああ、この取引自体も見逃すし、何だったらこの駿府で自由に過ごせるように戸籍登録をしてやってもよい」
「なに?戸籍登録だと!それは有難い!」
「ただ、その代わり……噂の『飛加藤』殿と見込んでひとつ、仕事を頼みたいのだ」
仕事というのは、今川館に忍び込んで寿桂尼様の口を封じる秘密を掴むことだ。当然それは容易ではないように思えたのだが……
「なんだ、その程度のことか」
飛加藤はどこかつまらなさそうにしながら、懐から巻物のような物を取り出して俺に渡してきた。
「これは?」
「お主がいうその寿桂尼の部屋に隠してあったものだ。どうだ、興味深いと思わぬか?」
中身を改めてみると……そこには、若い男同士が裸になって絡み合っている絵が描かれていた。しかも、顔は今川家中でも評判の美少年二人で、どちらも確かお屋形様の近侍として働いているはずだ。
「ちなみに、この事はここに描かれている二人は知っているので?」
「さあ、そこまではわからぬな。ああ……あとな、これがこの巻物を友野座に発注したときの請求書だ。宛先はきちんと『寿桂尼様』と書かれているであろう?」
「ホントだ……」
何とも間抜けな話ではあるが、金額は50貫(600万円)か。一体どこからこの費用をねん出したのやら。一度、立入監査を実行してもいいのかもしれないな。
「どうだ、それでお前の望みは十分適っただろう?」
「ああ、助かった」
「だったら、さっき言っていた約束は守ってくれよ?こちとら鉱山送りになるのが嫌で、こうして逃走資金を稼ぎに来たのだ。戸籍登録さえ済めば、逃げ出さずに済むわけだしな」
「わかった。明日の朝一番に新しい名を含めて用意しよう。ただ、人目につくのは避けたいから、今夜はこのまま無人斎様の屋敷に行って、そこで待っていてくれぬか?うちの者に届けさせるから」
「承知した。それで構わぬから、よろしく」
なお、飛加藤が無人斎様に持ちかけていた取引というのは、例の古今集を売りたいという話であった。ただ、中身を開けると出てきたのは何と、ラブレターだった。
「これが……晴信の秘密……」
無人斎様は、がっつりため息を吐かれながら、「こんな息子に育てたつもりはないんだけどなぁ……」と嘆かれていたが、送り主の「春日源助」の名を見て、俺も子育てには気をつけようと思うのだった。




