第105話 嘉兵衛は、飛加藤を求める
永禄元年(1558年)4月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
朝早くから五右衛門から話があると言われて、俺は何事かと思いつつも応接間に向かった。しかし、そこにいたのは一人ではなかった。
「ん?そこにいるのは千代女だよな。藤吉郎は一緒ではないのか?」
「藤吉郎は寝込んでおりまして……」
「寝込んでいる?」
祝言は明日行うと聞いているが、寝込んでいるとなれば果たして予定通りにできるのかと思っていると、五右衛門はまず口にした。祝言は白紙になったと。
「白紙に?」
「実は、この女は武田の間者でしてな。藤吉郎はまんまと嵌められて利用されただけだったのですよ」
そして、その事を知ったがゆえに藤吉郎は寝込んでしまったと言われて、俺は脇に置いていた刀に手を伸ばした。
「あいや、しばらく!しばらく!」
「五右衛門、何故止め立てするか!藤吉郎がどれだけこの者との祝言を楽しみにしていたのか、知らぬそなたではあるまいに!!」
「ですが、祝言を挙げて子供ができた後で、騙されていたとわかるよりかはマシではありませぬか?最悪の事態は防げたと……そう御心得の上で、この者の話を聞いて頂けないでしょうか」
むむむ、確かに五右衛門の言葉にも一理ある。ここでこの女を叩き斬ったところで藤吉郎の心が癒されるわけでもないし、話を聞いたからとて損する事はない。
「わかった……では、その話とやらを聞かせてもらおうか」
ただ、これで藤吉郎はバツイチかと思いながら、その話に耳を傾けていたわけだが……
「なに?飛加藤を探しているだと!」
昔、何かの漫画で読んだ有名人の名前を聞いて、俺は思わず腰を浮かした。この駿府のどこかにいるそうだが、素直に会ってみたいと思って。
「殿?」
「あ、いや……それで、その飛加藤とやらを見つけてどうするつもりだ。晴信公が奪われたという古今集を取り返すのか?」
「叶うのであればそうしたい所ではありますが、わたしの実力的には無理ですし、そこまでは求められていません。ですので、居場所を甲斐にいる上司に伝えるまでがお役目にございます」
千代女はその上で、改めて協力を求めてきた。その飛加藤の行方を共に探してほしいと。
「あのな……なぜ、俺が協力せねばならぬのだ?」
「わかっています!そもそも、首を刎ねられても文句は言えないのに、こんなお願いをする事自体が厚かましいという事は!ですが……」
果たして、飛加藤が駿府に居ると知りながら、放置していても良いのかと訊ねられると、些かまずいような気がした。もし、武田家の館でやったように、今川館に忍び込んで何か盗まれようなら、責任を問われかねない。
「もちろん、お礼はします!体で償えというのなら、愛人にだってなります!!」
「愛人は必要ない。というか、誤解を生むからそういう事をこの屋敷で言うな」
おとわの地獄耳に『愛人』のキーワードが拾われたら、一体何をされるか分かったものではないのだ。以前は真っ青に染まった瀬名様特製のお饅頭を食べろと強要されて、5日間に渡って厠を住処とする羽目になったし、冗談でも慎んでもらわないと困る。
しかし、飛加藤の捜索か……。
「殿、如何でございますか。古今集は返却するが、飛加藤はこちら側に譲ってもらうことを条件に協力してみては?」
「譲ってもらってどうするつもりだ。配下にでもするのか?」
「それができれば最高ですが、無理であっても仕事の一つは請け負ってもらえるかと」
「仕事?」
「寿桂尼様の弱みを掴むのですよ」
ああ、なるほど。ほとほとあのババアの嫌がらせには参っていたからな。もし、それができるのであれば、まどろっこしく仕事を自分で探す必要はないわけだし、それは妙案だ。
「わかった。この一件は五右衛門に任せよう。上手くやってくれ」
「畏まりました」
「だが、それが上手くいったとしてだが……千代女。すでにおまえが我らの手に落ちた事は、甲斐に伝わっているのではないか?」
「そうですね……おそらくは」
「であれば、この仕事が上手く行った所で甲斐に帰ればお仕置きを受けるのではないか?だから、どうだ。改めて藤吉郎と一緒になることを考えてくれぬか?」
しかし、こうして頼んでみたのだが、千代女の答えは否であった。それなら、甲斐に帰って例え慰め者になったとしても、その方がまだマシだと言って……。




