第103話 嘉兵衛は、仕事がないので仕事を作る
永禄元年(1558年)4月上旬 駿河国今川館 松下嘉兵衛
移民問題——。
かつて暮らした現代社会においても何かと物議を呼んでいた問題ではあったが、この戦国時代においてもそれは変わらず、歓迎されることではない。
なぜなら、人が増えればそれだけ食料が必要となるのだ。
「つまり、この駿府、駿河だけではなく、遠江や三河においても人は増えているという事なのだな?」
「御意にございます」
だから俺は、藤吉郎と弥八郎のまとめた資料を持って、早速お屋形様にその事を報告した。今川家の石高70万石に対して、今はまだ許容できるレベルではあるが、この勢いで増えていけば、いずれ食料が不足し物価が高騰して、飢える者が出かねないとして。
「この問題を解決するには、他国から流れてくる者たちの受入れを拒むか、新田開発あるいは他国から食料を購入するか、それとも他国を切り取り、領土を拡大するかですが……」
「兵は動かせないな。そのような状況では、いくさに臨めば、例え勝ったところで食糧事情はさらに悪化しそうだし……」
「左様でございますな」
尾張に向かえば、桶狭間の懸念がある。準備が十分でない現状においては、俺もいくさは反対だ。
「手っ取り早そうなのは、食料を購入することだが……次郎兵衛(友野宗善)よ」
「はっ!」
「資金の事もあるが、そもそもの話として米を他国から調達することは可能か?」
「畏れながら……松下殿のお話を前提に考えますに、難しいかと存じまする」
「そうか、難しいか」
次郎兵衛殿は渋い顔をなされたお屋形様にその事情を説明した。一度や二度ならできなくもないが、それがこれから先ずっと続くとなれば、いずれ資金は枯渇して立ち行かなくなると。それは俺も同意見だ。
「では、新田開発にその者たちを従事させることで、己の食い扶持を用意させてはどうだ?」
「それも悪くはございませぬが、開墾できる土地には限りがありましょうし、この先も増え続けていけば、やはりどこかで……」
「なるほどのう。そうなれば、御仏の御意志に背くことにはなるが、追い返すしかないという事だな?」
ただ、それもそう簡単にはいかない。街道を封鎖したところで、陸からでも海からでもこの今川領に入ることはそう難しいことではなく、抜け道を使われて市中に紛れ込まれたら、今川家としてはお手上げだ。
そして、強制的に排除しようとすれば、連中だって抵抗するだろうし、あるいは排除されるくらいならと先手を打たれて、領内のあちらこちらで反乱祭りとなる可能性だってある。
だから俺は、その事に言及して、「それよりも……」と用意していた提案を行うことにした。
「まず、今川領に来れば幸せに過ごせると思わせてはなりませぬ。流れ込んでくる民は、 元々この今川領にて暮らしていた民よりも下の身分とし、労役を課すことにしましょう」
軍に属して兵として働いても良いし、鉱山にて坑夫として働いても良い。兎に角、己の食扶持は命がけで稼いでもらうようにする。そうなれば、誰も今川領に行けさえすれば……などと甘い夢を見たりはしなくなるはずだ。
「厳し過ぎはしないか?それにそのような者たちが一定程度増えれば、徒党を組んで反乱を起こす可能性だってあるように思うが、如何に?」
「もちろん、期限は設けます。5年まじめに働けば、今川家の民と認めて開放することとします。さすれば、お屋形様が懸念される徒党を組んでの抵抗は起こりにくいのではと思います」
「なるほどのう。次郎兵衛はどう思う?」
「妙案かと存じます。確かにそれならば、流民共も態々うちではなく他国に向かいそうですな。……ただ気になる事が一つ」
「それは?」
「流民が態々、『我こそは流民だ』とは名乗らないという事にございます。見た目は我らと何ら変わりませぬし、その辺りはどうやって区別をするのかと。秘かに入り込めば、わからないのではありませぬか?」
次郎兵衛殿の指摘はもっともだ。だから、続いて第二の施策を提案する。それは、戸籍制度の導入だ。
「太古の律令の時代、どこに誰がいると記録して、朝廷は民に賦役を課していたはずです。 同じように、我が今川領においても戸籍を記録し、民には身分証を発行するようにしたならば……」
「その身分証を持たない者は、流民という区別ができるという事ですか」
「他にも、他国からの間諜も見破る効果も期待できます。如何でしょうか?」
もっとも、ここまでくれば勘定奉行の職務の範囲外だ。しかし、反対意見は上がらない。
「わかった。この件は、大蔵に任せるゆえよきに計らえ」
「畏まりました」
仕事がなければ作ればよい。出世の糸口を掴むために、俺は新たな業務を請け負うことに成功したのだった。




