第102話 嘉兵衛は、平和を謳歌しようとするも……
永禄元年(1558年)3月下旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
結局予想した通り、此度の人事異動でも俺は勘定奉行の職に据え置かれた。
「すまぬな、大蔵。俺たちもそれに若殿様も、何とかできないかと口を挟んだのだが……」
「寿桂尼様の手が回っていてな。どうしようもなかったのだ……」
今川館で行われた評定の後、三浦様や朝比奈左京様——今は名乗りをお父上同様に『備中守』と改められたが、お二方より少し内幕を教えてもらった話では、手が回っていた上に勘定奉行としての実績が乏しいとなってはどうしようもなかったということらしい。
「とにかく、こうなったら勘定奉行の職務において手柄を立てるしかないぞ」
「ですが、そろばんをこの今川家に導入した功績も評価されなかったのでしょう?」
「評価されていないわけではないが、寿桂尼様のご意向を覆すには弱かったようだ。もっと何か……この今川家にとって劇的な何かが必要なんだと、俺は思う」
「はぁ……」
そんな漠然なことを言われても……と思わないわけではないが、それをこのお二方に言っても仕方がないわけで、その劇的な何かがないかと家に帰ってからも思案した。
「ととさまぁ!」
「おお、あずさ。いい子にしていたか?」
「はぁい!」
だが、そんなに都合よく思いつくのなら苦労はしない。俺はとことこやってきて、膝の上に乗っかってきた愛娘をあやしながら、とりあえず今は思案するのを止めた。
「あらあら、あずさったら甘えちゃって。わたしも甘えたいのにねぇ」
「おとわ……身重なんだから、流石にそういうことは……」
「わかっているわよ。でも、寄りかかるくらいはいいでしょ?」
「そういってまた浮気していないか、臭いを嗅ぐつもりだろ?」
「あはは、バレたか」
もっとも、浮気はしていないので、嗅がれたところで何も問題はないから、俺はおとわを受け入れる。お鈴殿も言っていたが、確かにこうしてのんびり過ごすのも悪くはない。そうだ、春だし、これから桜でも見に行こうか……。
「殿……」
「どうした、左近」
「藤吉郎殿がお戻りに」
「そうか」
ただ、どうやらそういうわけにもいかないようだ。俺はおとわとあずさに断ってから席を立ち、左近と共に藤吉郎が待つ部屋へと向かった。
「如何であったか?」
「はい……」
三浦様や備中守様に言われた通り、俺がこの今川家で浮上するためには、現状の勘定奉行の職務において何かしらの大きな功績を上げなければならない。
それゆえに、俺は藤吉郎に命じて、何かネタがないか調べてもらっていたのだ。
「実は、お話の前に紹介したい者がございまして」
「紹介したい者?」
まあ、紹介したいのならば拒む理由もないので許可したわけだが……入って来たのは、目がクリっとした美少女だった。
「千代女と申すおなごにて、某のコレにございます!」
「はい?」
嬉しそうに笑顔いっぱいで小指を立てる藤吉郎に、俺は理解が追い付かなかったが……まあ、彼女ができたのならばそれは目出度いという事か。一先ず、「おめでとう」と言った。
「それで……まさかとは思うが、女を漁りに行ったのではあるまい?」
「ええ、もちろんですよ。それでですな、実はこの千代女ですが……甲斐からの流れ者でして」
「流れ者?」
この駿府は戦乱にあえぐ近隣諸国と比べて平和であり、豊かでもあるから他国からの流れ者が藤吉郎の彼女になること自体は別段不思議ではない。但し、その流れ者の数が近頃あまりに増えているというのが藤吉郎の話であった。
「そんなに増えているのか?」
「ええ、調べましたる所、この駿府だけでもこの1年で2千人近くはおそらく……」
「2千人!?」
現代の感覚で言えば、それほど多くはないように思えるかもしれないが、1万人を少し超える程度しかいない駿府の人口を考えたら、その数は少なくはない。
「一体、何処から来ているのだ?甲斐か?」
「甲斐からもですが、関東や上方かたら来た者も大勢いるようです。そうだよな、千代女」
「はい、その通りにございます」
そして、この現象は駿府だけでなく、遠江や三河の今川領でも起きているのではないかと藤吉郎は言う。弥八郎に調べて貰っているが……と。




