第11話 嘉兵衛は、金蔓を掴む
天文23年(1554年)7月上旬 遠江国気賀 松下嘉兵衛
藤吉郎に任せることにした材木販売事業だが、流石は自信満々に語っていただけあって話はスムーズにまとまった。
「森林の伐採権を5年間無償で与える代わりに、それによって得た利益から1割を年貢として収めるか……」
「そして、その利益を財源として切り開いて貰った土地を田畑に変えて、そちらでも収入を上げる……これは、見事ですな、嘉兵衛殿」
森林資源は、いずれにしても今の井伊家には手を出すことができないのだ。但馬守殿も唸っている通り、これは実に見事な施策だった。
そして、この提案は殿の裁可も受けた事で、俺は今、藤吉郎と共に気賀にやってきている。これらの取り決めを賛同してくれた商人たちと正式に契約するために。
「お初にお目にかかります。この気賀で商いをしております瀬戸方久と申します」
「井伊家家臣、松下嘉兵衛にございます」
「おや……?松下様といえば……」
だが、そのうちの一人とこうして面会した所、開口一番そのように言われて俺は身構えた。また例の衆道疑惑をつつかれるのかと思って。
「い、いや、某には衆道の嗜みは……」
「えぇ……と、それは一体何のことでしょう?」
「え……?」
しかし、それはどうやら過剰反応だったようだ。
「おい、例のものを……」
「心得ました」
そんな俺の態度を気にすることなく、方久殿は後ろに控えていた番頭らしき者に声をかけて、酒が入っていると思われる徳利を持ってこらせた。
何処かで見たことがある徳利だなと思って眺めていると……中身を茶碗に入れて俺たちに見せて言った。この透明な酒を以前作られたでしょうと。
「ああ!!」
「思い出して頂けましたかな?」
そうだ、思い出した。これは正しく俺が作った澄酒だった。尤も、酒自体は頭蛇寺城に出入りしていた商人から普通に買った物だが、それに灰を撒いて透明にしたのは確かにこの俺であった。
「しかし、どうしてこれがここに?そんなに数は作らなかったし、駿府からの使者をもてなす為に父を通して全て引間のお城に納めたはずだったと……」
「実は、松下家のご先代様が昨年、まとまった金が要ると言われましてな。御用立てした際にお礼としてこの酒を何本か受け取ったのですよ」
「なるほど……」
確かに、昨年は何かと金がいったな。俺が寿殿と婚約したからその結納金もいったし、あと源左衛門の元服でも金はいったし……。
だから、父上がちょろまかして横流ししたのも気持ちとしてはわからないでもないが……あいつらのために使ったと思ったら、何だか無性に腹が立ってきた。
「それで……そのお酒がどうかしたのですか?」
「非常に美味しくてですな。それで、もしまた作れるのであれば、是非売ってほしいと思いまして……」
まあ、酒は金さえあれば簡単に手に入るし、それに一定量の灰を混ぜたら化学反応で透明になるから、それくらいなら別に構わないと思ったが……そんな事を考えている俺に藤吉郎が目配せをしてきた。ここは任せてほしいというように。
「いやぁ~方久殿。実はこの澄酒ですがな、非常に製法が難しくて、忙しい嘉兵衛様にお願いしてもおそらくひと月で徳利1本分ができれば良いところ。しかし、それでは商いになりませぬよな?」
「それは、その通りですな。手前共としては、せめて月に樽で10は最低でも欲しいところです」
「では、井伊谷にて人を雇って、嘉兵衛様よりその秘法を伝授頂き、少しでも多く作れるようにしたいと存じます。これも何かの縁ですからなぁ!」
「おお!」
何も知らない方久殿は感動したように声を上げたが、これはきっと詐欺の入り口だ。口八丁の藤吉郎はそこで囁いた。そのためには初期費用が必要だと。
「あの……お幾らほど必要で?」
「そうですな、1千貫(1億2千万円)といったところですかな?」
「い、一千貫!?」
そりゃあ、いくらなんでもぼったくり過ぎだと思ったが、藤吉郎は更に囁く。別に嫌なら他の商人を当たるからと。
「そう言えば、嘉兵衛様。駿府の何とかという商人からも実は同じような話があったのですよ。少し遠いからと保留にしているんですけどねぇ……」
「ちょ、ちょっと待った!それってまさか……友野座が……」
「おっと!取引先の事は守秘義務がありますから、それはちょっとお答えできませんな。それで……如何なさいますか、方久殿。こちらとしてはどちらでも……」
「わかりました!わかりましたから、1千貫出しますから、どうかうちと独占契約を!」
その瞬間、藤吉郎の顔がニヤリと勝ち誇る。できた酒は友情価格で定価の2割引きとするらしいが、それでも2升約50文(6千円)の酒が場合によっては数倍の値に化けるのだ。初期投資の1千貫の事もあり、それでもはっきり言ってぼろいと思った……。




