第97話 お鈴は、夫の死を知らされて
天文24年(1555年)10月上旬 遠江国頭蛇寺城 お鈴
腕の中には、産まれたばかりの息子がいる。とても愛くるしく、だから源左衛門様にも見せてあげたかったが……その源左衛門様は今、遺髪となってわたしの前に置かれていた。
「どうして……」
これではこの子を抱きしめることはできないじゃないかと、思わず声がこぼれたが、それに対して大蔵少輔様は「果敢に戦って、寺部城の近くで戦死した」とだけしか答えてくれない。
だけど、わたしは納得がいかなかった。この人は源左衛門様の兄で、今川家では偉いお方におなりになったと聞いている。
それならどうして、源左衛門様をみすみす死なせたのか!
「ふざけるな!!うちの人を返せ!!お前は兄だろうが!!この人でなしが!!」
兄弟だからと手を回してくれたら……討ち死にするような危険な仕事をせずに済んだのではないか。
わたしはどうしても納得ができずに、声を荒げて泣きながら訴えた。その大きな声に息子も泣き出したが、この感情はどうにもならず、嗚咽を上げながら……大蔵少輔様に怒りと悲しみをぶつけた。何度も何度も……。
「すまぬ……」
しかし、大蔵少輔様はそんなわたしたち親子を優しく抱きしめてくれて、慰めてくれた。そして、落ち着いたところを見計らって、今後の話を切り出してきた。それは、共に駿府に参ろうという誘いだった。
「あの……それはどういうわけで?」
「源左衛門が戦死したため、飯尾家はこの城を明け渡すように言ってきている。俺は駿府だし、その子は産まれたばかり。あと、弟の三四郎も幼いゆえ、共に駿府へ参ることになっている……」
なるほど……この城は引間城にとって防衛の要ともいうべき城だ。源左衛門様が御健在の時でも城主交代は検討されていたようだし、こうなってしまっては仕方がない判断とも理解できる。
そして、わたしの実家は……父が亡くなって兄が継いでからというもの、ゴタゴタが続いていて当てにならない。
「駿府に連れて行って……わたしたちをどうするつもりなのですか?」
ただ、住処を失うからといって、ホイホイついていったらどうなることやら。
何しろ、この大蔵少輔様と源左衛門様との間に家督を巡る争いがあったことは、嫁ぐ前に善四郎様からも聞いている。だから、裏があるのではと疑った。例えば……未亡人となった弱みに付け込んで、わたしを愛人として囲うつもりなのではないかとも。
「言っておきますが、善四郎様の愛人だったからと、舐めて手籠めにするおつもりなら、大蔵少輔様のアレを噛み千切って、それから舌を噛んで死にますわよ?」
「も、もちろん、そのような事はしない!」
「本当ですか?さっき、慰めている時……わたしの胸を触ろうとしませんでした?」
「え……い、いや、そ、そんな事はないぞ!そなたは弟の嫁御。そのような鬼畜な所業は断じて……」
ふ〜ん、ホントかしら?
しかし、大蔵少輔様はその上で改めてお答えになられた。あくまでも、義理の妹と甥として正しく処遇すると。
「もちろん、嫌ならば無理強いはしない。それに他の望みがあれば、できる限りの事はするつもりだ。何でも言ってくれ」
「どうして……」
大蔵少輔様の申し出は、今のわたしたち親子にとって非常にありがたいことではある。しかし、出陣の前に源左衛門様がこの兄上に拒まれたと話していたことを覚えているだけに、わたしはその真意を訊ねたくなった。
すると、これは罪滅ぼしだと大蔵少輔様は言われた。
「罪滅ぼしですか……」
「出陣前に引間城で会った際に、声を掛けられたのに言葉を交わさなかった。まさか、あれが最後になるとは思っていなくて……」
「はぁ……」
「だから、もし言葉を交えていたらと思うのだ。そうしていたら、源左衛門は死ななかったかもしれない。そなたたち親子に悲しい思いをさせずに済んだかもしれない……と」
覚えてくれていた——。その事が確認できて、わたしは嬉しくなった。源左衛門様の無念が少しでも晴れたのではないかと……目の前の遺髪に目を向けて思った。
「だから、せめて俺にそなたたち親子の世話をさせてもらいたいのだ」
それに大蔵少輔様は、偉い人のはずなのに……どうしようもないほどにお人好しのようだ。源左衛門様との関係から、例え見捨てても誰も文句を言わないというのに、こうして手を差し伸べてくれるとは……。
「どうぞ、これからよろしくお願いします。義兄上様」
だから、その手を取ることを決めた。信じてみてもいいと思って。




