第96話 嘉兵衛は、源左衛門が討ち死にした事を知る
天文24年(1555年)9月下旬 三河国岡崎城 松下嘉兵衛
「……殿はやはり甘もうございますな」
「いかにも。いくら総大将の次郎三郎様が言われたとて、殿は今川家の軍監なのですぞ。別に折れる必要などないわけで……」
寺部城で行われた戦後処理の後、岡崎城に戻って来て、こうして藤吉郎と弥八郎とも合流できたわけだが、会った途端に二人からそのように責められて俺は苦笑いを浮かべた。
ただ、俺は言いたい。これで未来の徳川家康に貸しを作れたのだから、それでいいじゃないかと。もっとも、未来の話をするわけにはいかないので、言えないけど……。
「だが、二人とも。今更撤回はできぬぞ?駿府には次郎三郎より使者を送った後だしな……」
「それはそうですが……」
「そう開き直られて申されても……」
だったら、どうすればいいんだと二人に問いかけたいが、とにかくこの話はこれ以上話しても埒が明かない。よって俺は半ば強引に話題を変えた。酒井将監は果たしてどうするつもりなのかと。
「気になりますか?」
「まあな。ちなみに、そなたはこのまま俺に仕えるということでよいのだよな?」
「そうでなければ、ここにおりますまい」
まあ、それはそうだが……弥八郎は、将監の近況について教えてくれた。城の明け渡しに応じて、家族と共に岡崎城下に移り住みようだと。加えて、最後まで付き従った家臣たちの多くは、次郎三郎に仕えるらしい。
「そういえば……榊原孫十郎に家族はいなかったのか?」
「妻と子が5人程おりますが……」
「その者らはどうしておる?孫十郎は将監を裏切ったであろう。次郎三郎は受け入れたのか?」
「いえ……」
弥八郎が渋い顔をしながら事情を説明してくれたが、裏切った時点で孫十郎は酒井家の人間ではないというのが将監の見解ということだ。即ち、その時点で浪人だから、次郎三郎に引き渡す以前の問題だと。
「それはまた、榊原の者たちは困っているのではないか?」
「その通りですな。ゆえに、この後殿にも次郎三郎様へのお口添えをと思っているのですが……」
別に次郎三郎に口添えするのは、左程難しい話ではない。事情を説明すれば、たぶん大丈夫だと思う。
「なあ、弥八郎……」
だけど、それならば、うちの家臣に迎えたらいいのではないかと俺は思う。ただでさえ人手不足だったのに、駿府に帰れば加増が待っている。石見守殿からは変わらず返事はないが、榊原一家が増えたところで問題は生じるはずがない。
もっとも、俺は孫十郎を討った男だから、それで断られるかもしれないが……それでも、声だけは掛けて貰いたいと弥八郎に頼んだ。
「承知しました。必ずや殿のご意向に沿えるように説得しましょう」
「頼んだぞ」
そして、噂をすれば影が差すとはこの事かもしれない。榊原の話がひと段落ついたところに、石見守殿が現れたのだ。
「大蔵殿……」
但し、どうも顔色が良くない。
「如何なされたのですか?」
「実はな、此度のいくさに源左衛門が参陣していたのだが……」
石見守殿はその源左衛門が討ち死にしたと知らせてきた。青木川から寺部城に向かう途中で……と。
「嘘でしょう……?」
「真の話だ。亡骸ももうすぐここに運び込まれてくる。無論、そなたとの確執は儂も承知しているが……」
仏となったからには、蟠りはひとまず水に流して会ってやって欲しいと石見守殿は言った。せめてそれくらいは、と。
「……承知しました」
最後に引間城で会った時、あいつは何かを言いたそうにしていた。今となっては何を言おうとしていたのかはわからないが……こんなことになるのならと、思わないでもない。
俺は石見守殿の申し出を受ける事にしたのだった。
「殿……」
「なんだ?」
「確か源左衛門殿には、この秋に子が生まれるとか……そういう話がありませんでしたか?」
そういえば……寿が前にそのように言っていたなと思い出して、俺は石見守殿に訊ねる。その話はどうなっているのかと。
「そうですな……まだ生まれたとは聞いていませんが、そろそろかと……」
甥かあるいは姪なのかはわからないが、源左衛門が亡くなった以上、流石に放置するわけにはいかない。残された奥方からすれば、「何を今更」と罵られるかもしれないが、俺は帰り道でもう一度、引間に立ち寄ることを決めたのだった。




