かつての仲間
「当然のことではありませんか。元旦那様が、もしかしたら大病を患うかも知れないのです。貴方の所在をお伝えし、早急に面会を——」
「余計な真似をするな」
これまでになく動揺している自分がいた。ソフィアには、今の住所を教えていない。
俺は離婚してから、あいつに引っ越し先も告げずに去ったのだ。このまま会わないままで、消えてしまいたかったから。
この騎士団長は、そんなことまで調べ上げていたのか。抜け目のない奴だ。
「失礼しました。私としては、少しでもお力になれればと考えたまでですが。しかし、もしバルガス様がこの依頼を受けてくれないとなると……やはり体調面が気にかかりますね。ソフィア様への申し伝えも、検討しなくてはならないかと」
つまり依頼を受けなかったら、ソフィアに俺の居場所を教えると脅していた。やんわりとした口調だが、本意は伝わってくる。
「お前はなかなか汚い奴だな」
「おや? 何のことでしょう。ではバルガスさん、またお会いできることを、心から願っています」
「会えるさ。ここまで話しておいて何だが、万年筆は持っているか」
「え、ええ」
ヴァリスにとっては意外な返事だったかも知れない。そそくさと懐から取り出されたそれを受け取り、羊皮紙に名前を書いた。
「まさか、即決とは」
「断る理由はない。ここ数日で分かったことがあってな」
拳を握りしめながら、空に浮かぶ魔物を思い出す。まるで身体中の血が沸騰しているようだった。
「俺は戦いたい。酒で誤魔化してばかりいたが、結局は俺自身もまた獣だ。戦うことに飢えている」
「望ましい限りです。貴方は私の見立てどおり、いやそれ以上でした。感謝しますよバルガスさん。共にこの戦い、必ずや勝ちましょう」
騎士団長はどこか興奮している様子だった。どうやら、想定よりことが上手く運んでいると考えたようだ。
意外なことに、こちらに握手まで求めてくる。握り締めた手は随分と綺麗なものだった。育ちが違うことがすぐに分かる。
もしかしたら、ほぼ勝ちは決まったと思い込んでいるのかもしれない。
しかし現実は甘くはない。空を飛ぶ竜を地面に落とす奴が必要だし、全体を上手く補助できる役割をこなす奴だって必要だ。
かつての仲間が生きていれば、誘いをかけてみるんだが。あいにくと俺は誰とも連絡を取っていなかった。
◇
ヴァリスと別れた後、しばらくのんびりしてから店を出た。
頭の中は五日後のことばかり浮かんでくる。興奮して寝れそうもない。。
これまでになく冴えた頭のままで、ボロ小屋のような家に戻ってきたところだった。
俺は最近、家の玄関に鍵をかけていない。誰も盗みに入るような奴などいないし、侵入者がいればぶちのめしてやろうと思っていた。
そして、どうやら今日に限っては、招かれざる誰かが家に入っているようだ。消したはずの明かりがついているし、物音も聞こえる。
俺は懐にしまっていたナイフを取り出し、静かに家の中を確認する。相手は台所で何かをしている。
そいつはどうやら老人だ。黒いローブはなかなかに上等だが、髪の毛はほとんどなくなり、後頭部に白いものが残っているだけ。
周囲をよく確認してみたが、他の気配はない。こんな小さな泥棒が一人だけか、そう思いながら静かに背後から迫ろうとすると、そいつは不意に振り返った。
「あっ、バル——」
「動くな!」
瞬時に距離を詰め、体を押さえつけて首筋にナイフをちらつかせる。あっさりと捕まるものだから、拍子抜けしてしまうほどだった。
「ま、待った待った! ワシだよ、ワシ!」
「俺にお前のような知り合いはおらぬ。この盗人が」
「ご、誤解じゃて! ワシだ、リーベルだ。天才魔導師リーベルを忘れたか!?」
「リーベル? リー……お前が?」
動きを封じながら、顔を覗き込んでみる。細くひょうひょうとした顔、仙人のような達観した空気を持ちながらも、どこか愛嬌がある瞳を持っている。
髪が薄くなり、痩せてシワが増えたことですぐには分からなかったが、確かにこいつは魔導師リーベルだ。
俺が抑えていた手を離すと、かつての友人はゴホゴホ咳き込みだした。少しして落ち着くと、嫌味っぽい目でこちらを見上げてくる。
「まったく。酷いもんじゃなー。ワシを盗人扱いとは」
「すまん。それにしても、お前生きていたんだな」
「酷い言いようじゃ。まあそう言われもしゃーないか」
「どうしてここが分かったんだ? いや、待て。積もる話がある。食事を用意しよう」
「フォッフォ! そう思っての。ちゃんと材料を持ってきたし、料理しとったんじゃよ」
だから台所に立っていたのか。それにしても、突然人の家に上がり込んで台所を使っているなんて、非常識ぶりが全く治っていない。
でも会えたことが嬉しかった。
結局その後、長い時間これまでの人生について語り合うことになる。俺にとって、しばらくぶりの幸福な時間だった。




