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第6話竜馬とウォール街 ~金ぴか時代~

「金ぴか時代」、Gilded Age。なんだか響きがいいじゃねえか。金ぴかに輝く時代、ギラギラした野心むき出しの人間たちがうごめく時代。まさに、おいが求めていた世界じゃ!


1870年、アメリカに渡ったおい、坂本竜馬は、このギラギラした「金ぴか時代」のど真ん中に飛び込んだ。まるでマグロが大海原に飛び込むように、おいはアメリカの大地に飛び込んだのじゃ!


まずは腹ごしらえじゃ!とばかりに、ボクシングの賞金試合に出場。土佐の荒波で鍛えたおいらの拳は、アメリカ人ボクサーたちの顎を次々と砕き、賞金をがっぽりゲット!リングの上では「ライジング・サン・サカモト(Rising sun Sakamoto)」の異名で恐れられたのじゃ。


しかし、賞金で豪遊したのも束の間、あっという間に金は底をつく。おい、坂本竜馬、金遣いの荒さは昔からじゃからのう…。


そこで目をつけたのが、当時アメリカ経済界の巨人、カーネギーとロックフェラー。あのお二人なら、おいにふさわしい仕事と報酬を与えてくれるじゃろう!


「Mr.Carnegie!Mr.Rockefeller!Won't you employ me as your body gard?(Mr.カーネギー!Mr.ロックフェラー!わしをボディガードに雇ってくれんかのう?)」


「Ahan,Japanese.You interesting.Well,employ you.but It is work of death?(ほう、日本人か。なかなか面白い奴だな。よし、雇ってやろう。だが、命がけの仕事だぞ?)」


こうして、竜馬は二人のボディガード兼用心棒として働くことに。鉄鋼王カーネギーと石油王ロックフェラー、二人の巨人の懐刀として、危険な仕事もなんのその!持ち前の度胸と機転で、あらゆる危機を乗り越えていったのじゃ。


しかし、用心棒だけでは飽き足らないのが、おい、坂本竜馬。夜な夜な、三味線とギターを抱えて街角に繰り出し、路上ライブを敢行!得意の土佐弁で歌うオリジナルソングは、アメリカ人の心を掴み、チップが雨のように降り注ぐ!


「Oh!Amazing!What a soulful music!(おお、すげー!なんてかっけえ音楽だ!)」


「Encore!Encore!(アンコール!アンコール!)」


竜馬がアメリカ合衆国に渡ったのは、まさにこの「金ぴか時代」真っ只中だった。民衆がギラギラと野心的に人生を謳歌しているところに竜馬も強烈に惹きつけられた。


ボクシングの賞金試合。カーネギー、ロックフェラーら経済界要人のボディガード。三味線やギターの路上ライブ、歌。日本語の通訳。その他、日雇いのアルバイトまでなんでもやった。実力さえあればどんな階級の人間でも等しく仕事が認められる、「新しい国」、アメリカ合衆国の生活を本当に謳歌した。


時には日本語の通訳もこなす。日米の架け橋となるべく、竜馬は言葉の壁を軽々と飛び越えたのじゃ!


「Hey,meaning of this word is this!My translation is correct!(おい、この言葉の意味はこうじゃ!わしの通訳は正確無比じゃぞ!)」


もちろん、日雇いのアルバイトも経験。どんな仕事も厭わない、竜馬のバイタリティは、アメリカンドリームを体現していたのじゃ!


「Trying on any works is my,Ray Sakamoto's philosophy!(どんな仕事でも一生懸命やるのが、おい、坂本竜馬の流儀じゃ!)」


そんなこんなで、竜馬は「金ぴか時代」のアメリカで、様々な経験を積んでいく。


ある日、竜馬はウォール街に足を踏み入れた。そこは、金、金、金!金の亡者たちが欲望渦巻く、まさに魔窟!


「Here is wall street!What a speculative place!(これがウォール街か…なんとも刺激的な場所じゃ!)」


竜馬は、株取引に興味を持つ。金儲けの匂いを嗅ぎつけた竜馬は、持ち前の勘と度胸で、株の世界に飛び込んだ!


最初はビギナーズラックで儲けることもあったが、すぐに落とし穴にハマる。あっという間に資金を失い、一文無しに…。


「Damn it!(くっ…甘く見ておったわ…)」


しかし、竜馬は諦めない。何度失敗しても、何度転んでも、必ず立ち上がる!それが、おい、坂本竜馬じゃ!


竜馬は、経済の勉強に励み、市場の動向を分析し、独自の投資戦略を練り上げた。そして、再びウォール街に舞い戻り、大勝負に出たのじゃ!


「This time,Earn big money!(今度こそ、大儲けしてやるぞ!)」


竜馬の投資は、見事に的中!巨額の富を手に入れ、ウォール街の風雲児となったのじゃ!


「Good!I have have the fund to make the world happier!(やった!これで、世界を幸せにするための資金ができた!)」


竜馬は、手に入れた富を元手に、様々な事業を展開。貧しい人々を救済し、教育を普及させ、世界平和に貢献しようと奔走したのじゃ!


しかし、竜馬の野望は、そう簡単には実現しなかった…。


19世紀後期に誕生した企業のなかで、この時代の代表といえるのはジェネラルエレクリック社とAT&Tである。エジソンもベルも発明によってアメリカの伝説的な人物となったが、どちらも経営や事業を拡大していく能力に秀でていたわけではなかった。2人とも会社を設立した当初から、経営の専門家や外部からの資本調達に大きく依存していた。


アレクサンダー・グレアム・ベルは、1876年、電話の原型ともいえる「高調波電信機」の特許を取得し、ほどなく電話を発明している。


ベル・テレフォン社の初代財務担当となったハバートは、地方の会社とフランチャイズ契約を結んで全国的な電話網をつくり、ベルに特許権の使用料が入ってくるようにしようと考えた。しかし、その契約手続きが始まる前にベル・テレフォン・カンパニーは人手に渡り、新しい投資家に乗っ取られたのである。新会社の名前はアメリカン・ベルで、ジェネラルマネージャーになったベイルは合併に着手し、通信機器製造会社ウェスタン・エレクトリック社を買収した。


アメリカン・ベルはフランチャイズ構想を推し進め、地方に子会社をつくっていった。さらにAT&Tという長距離通話の子会社も設立している。しかし、地方の製造会社は親会社の製品をめぐって熾烈な競争を繰り広げていて、アメリカン・ベル自身も資本の注入が必要とされた。そこでアメリカン・ベルはAT&Tをグループの中核企業とする組織再編をおこない、J・P・モルガン率いる銀行家のシンジケートと組んで新しい資本を調達しようとした。


一方、トーマス・エジソンはベルよりも自社の発展に貢献している。1847年、オハイオ州で生まれ、公式には3ヶ月の教育しか受けていない。少年のころから新聞の売り子や無線通信士として働き、カーネギーと似たような幼少期の経歴がある。無線にかかわったことで電気や通信の可能性に目を向けるようになった。短期間、ポープ・エジソン社という電気技術会社のパートナーとなった。同社は証券取引報告に革命をもたらした電子相場表示器を製造し、その特許を取ろうとした。この会社が1870年に買収されると、エジソンは売却代金の自分の取り分をつぎ込んで、ニュージャージー州メンローパークに研究室を開いて発明に没頭し始めた。


エジソンの研究室は、いまでいうメーカーの中央研究所で、多くの発明を生み出し、アメリカン・ベルが利用することになる発明でもあった。注目すべき発明は、1877年に発表されたレコードプレーヤーである。2年後、白熱灯の電球が開発され、同研究所はさらに有名になった。この電球は、都市に電力を供給する発電所の建設を目指す壮大なプランのスタートを意味した。この発電事業に関して、エジソンはJ・P・モルガン社から計り知れないほどの支援を受けている。

モルガンはエジソンのために、ウォール街に近接したパール街に実験的な発電所を造るための資金を提供した。モルガンの銀行はニューヨーク市で最初の電灯の利用者となった。モルガンは発電所で事故があっても援助を続け、エジソンが立ち上げた会社がジェネラル・エレクトリック社を設立するときも手を貸している。


この時代、近代的な投資銀行が産業を育成する役割を増していった。資本を必要とするプロジェクトは多く、投資銀行家は好きなようにプロジェクトを選ぶことができた。ただし、投資銀行が融資できる資金額には限度があった。モルガン社やキダーピボディ社、クーン・ローブ社のような大銀行であっても、顧客が求める資金のすべてを自前で提供することはできなかった。これは資本集約的な新産業において顕著なことだった。


投資銀行は必然的にシンジケートを頻繁に組むようになり、株式や債券の新規発行は銀行グループに定期的に売却され、それを銀行グループが一般に売り出すようになっていった。株式や債券を最初に引き受ける銀行は「引き受け幹事」と呼ばれ、その取引全体を管理することになる。幹事銀行は、資本を必要としている企業やウォール街で主導権を握ることができた。1880年から1930年までの50年間、この地位はピアポント・モルガンが率いていたJ・P・モルガン社によって占められていたのである。


1880年から19世紀が終わるまでの20年間は、ウォール街が初めて迎えた黄金時代だった。この時期、証券取引所に上場された株の銘柄数は劇的に増えた。NYSEの取り引きは1885年に初めて100万株を記録している。投資銀行はウォール街でシンジケートを組み続け、それに参加した銀行は、シンジケートを通して企業から株式や債券を大量に買って投資家に売りさばいている。


投資銀行の影響力は拡大するいっぽうで、モルガン社やキダーピボディ社、リー・ヒギンソン社、クーン・ローブ社、リーマン・ブラザーズ社など、実力のある銀行が名望を集めるようになった。著名な銀行家たちはアメリカ産業の多種多様な部分をつなぐ糸となったが、それだけでは満足していなかった。活発にトラストをつくり、それが企業の合併を実現する勢力となった。


1894年8月、アメリカへの投資に不安を感じさせる事態が明らかになった。連邦政府の財政赤字が、南北戦争以来初めての記録だったが、6000万ドルに達していたのである。クリーブランド政権は財務省の財政を支えるため5000万ドルの債券発行を2回おこなった。その債券は2回ともニューヨークの銀行が大量に引き受け、これらの銀行は金での支払いを求めている。結果、財務省の財政赤字はひと息ついた格好にはなった。


しかし、この問題は1年も経たないうちに再燃した。財務省が2回の債券募集で得た資金を当時満期を迎えようとしていた他の債券の償還に当ててしまっていたのである。再び金準備高が減っていき、これまでのような債券募集では難局を切り抜けられそうにもなかった。財務省は海外の投資家たちが証券を売ったためにアメリカが失った金を、早急に取り戻さなくてはならない事態に追い込まれていた。


クリーブランド大統領は金の流出を阻止するため、海外の投資家に債券を販売することで金を再流入させようとした。このときアメリカ政府の代理人を務めたのが、J・P・モルガン社とオーガスト・ベルモント社が率いたシンジケートであった。

しかし、この取り引きに対して声高な批判が沸き起こった。とくに金本位制や人民党の支持者たちが批判的で、ウォール街がワシントンの資金を使って儲けることへの批判もあった。この取り引きで、シンジケートは600万ドルを手にしていた。こうした批判は、このときが最初で最後というものではなかった。

モルガンが産業国家アメリカの創造に与えた影響は、発明家や実業家がそれぞれの分野に与えた影響力にも匹敵するものだった。モルガンは19世紀末から20世紀初頭にかけて、銀行業以外に鉄道や生命保険、鉄鋼、電力といった業界でも支配的な立場にいて、USスチール・コーポレーションとジェネラル・エレクトリック社などの創設、発展に寄与している。


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