第28話トマス・エジソン
Thomas Alva Edison(1847.2.11~1931.10.18)。電信機、白熱電灯、蓄音機等、現代の科学技術や産業の発展につながる数多くの発明をした技術者で、「発明王」「万人のための点灯夫」と呼ばれ、探究心、不屈の精神で知られる。
祖先は1730年代にオランダから移住し、祖父は独立戦争の際イギリス側に立ちカナダへ逃れ、父はカナダで独立運動が起きた時父親に逆らって独立軍に参加し、敗北者となってアメリカへ逃れざるを得なかった。
エジソンはオハイオ州ミランで生まれた。父は材木商、母はカナダの牧師の娘で、教師もしたことのある教養深い女性であった。信念のために努力する不屈の精神を祖先から受け継ぎ、好奇心と探求心あふれる子どもであった。病気で遅れて8歳を過ぎて小学校に入学するが、並外れた才能は学校教育にあわず、3ヶ月で退学。その後母の指導で、いわゆる英才教育を受ける。歴史、科学、文学等の難しい書物を読破し、独学で実験に凝った。数学を苦手とし、ニュートンの「プリンキピア」にはてこずったという。
社会で働くことの大切さも学んだエジソンは、好きな実験の費用を稼ぐため、早朝から夜まで働き、あき時間にデトロイトの図書館で勉強し、列車内のスペースで実験をする勤勉さであった。実験に励む一方、新聞やキャンディも売ってもうける商売との両立は、のちの実生活に密着した発明と事業化という人生哲学をよく物語っている。15歳のとき「週刊ヘラルド紙」を車内で印刷し、各駅にあらかじめ電信技師に頼んでニュース内容を打電して宣伝していたため、すぐに売り切れた。ニュースの内容と表現の明確さ、宣伝効果の利用が評価される。当時電信が実用化され、幸運にも電信技術を習得する機会を得、その後各地を遍歴してさらに技術を磨き、アメリカ一のスピード技師と言われるようになった。
ボストンのウェスタン・ユニオンで電信技師をしている頃、便利な機器を作り発明の才を認められていた。生涯に得た千以上にも及ぶ特許の第一号を申請したのはこの時期で、弱冠21歳であった。それは投票記録機で、議会の投票の際に時間を短縮でき、記録もできるものであった。特許取得後ワシントンに売り込みに出かけたが、当時の議会には受け入れられなかった。しかしこの失敗により、発明とは人々が利用するものでなければならないという教訓を学び、この姿勢を終生貫いた株式通報機、電報印刷機等を開発したが、万能印刷機の発明により大金を獲得した。1869年ニューヨークにこの製造工場を作り、さらに実用タイプライター、印字電信機、二重電信機などの発明もした。
エジソンの全盛期の活動は、1879年29歳のときに建てたメンローパークの工場で行われた。ニュージャージー州の静かな環境の中で、失敗から多くのことを学び、




