第27話坂本竜馬とは何だったのか
竜馬は、ハッキリ言って、はた迷惑な存在であった。もし乱世に生まれなければ、ミュージシャンやプロ野球選手、小説家、株のデイトレーダーにでもなっていたかもしれない。
ただ、竜馬のこと。たとえ平時に生まれても、結局は世界中を巻き込んだグランドナラティブを描いてしまったであろう。
竜馬がいなければ、明治維新や第二次世界大戦は起こらなかった?フランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領になることも、ヒトラーが台頭することも。
たった一人の人間にそれほどの影響力があると考えるのは穿ちすぎだろうか?
竜馬の人生を俯瞰して思うことは。彼は決してリーダー向きではなかったということ。むしろ、トップに愛されて組織の中で自由を与えることで真価を発揮するタイプではなかったか。
本当にトップに愛された。勝海舟にせよ、西郷隆盛、木戸孝允にせよ。それこそ、徳川家茂、明治天皇、ロックフェラー、フランクリンルーズベルトまで。
決してカリスマはなかったと思う。人を惹き付ける不思議な魅力はあったが。
坂本竜馬の特徴って。バカ、デブ、ハゲ、近眼、弱虫、人たらし。色々あるんですけど。一番の特長は、グランドナラティブ、大きな物語を紡ぐ才能じゃないですかね。彼は幼少期からしばしば「うそつき」「ホラ吹き」「変わり者」と誤解を受けてきましたが。それは周囲の人間が竜馬の紡ぐグランドナラティブを理解できなかったということだと思います。
現実に世界を変えてしまってから、世の中はあわて出して、「こんな危ないヤツは殺してしまえ」となった。
だから、竜馬はアカウントを変えて、日系アメリカ人「Ray」として二度目の人生を生きて。今度は目立たないよう、表舞台に出ないよう、細心の注意を払って、111歳まで生きた。
作者としては、司馬遼太郎の歴史観がなぜ戦後の民衆に受け容れられたかよりも、なぜ現代になって司馬史観が猛反発を喰らっているのかが気になります。おそらくは、この30年間の急激な世界の一体化、リベラル化に民心が動揺しているのであろうと。
ただ、一言だけことわっておきたいのは、坂本竜馬は決して司馬遼太郎が発明したものではないということ。司馬史観、司馬遼太郎のイデオロギーとはほとんど無関係に竜馬のグランドナラティブは確かに存在したということ。司馬史観などという観念的な議論ではなく、唯物的な、プラグマティックな、極めて哲学的な議論になる。司馬遼太郎という一介の物書きの思惑がどうであれ、坂本竜馬の存在は、「あった」のか「なかった」のか。ただ、現実、この不思議な天才の存在を認める勇気を、皆さんが持ち合わせているかという、最終的には、そういった議論になる。
竜馬の哲学をひと言で表すとしたら、「肯定(like)」である。剣道、ボクシングの達人であり、およそ1対1の格闘戦で世界中のどんな人間よりも強かったであろう竜馬は、その111年の生涯で、とうとう1人の人間も殺すことはなかった。生命の尊さ。戦争、殺し合いのバカバカしさ。それをだれよりも理解していたからこそ、111歳まで生きた。そして世界大戦で多くの人命が失われたこと、それを止められなかった自分が許せず最期は腹を切ったのだろう。




