第14話フランクリン・ルーズベルト
Franklin Delano Roosevelt(1882.1.30~1945.4.12)。第32代アメリカ大統領、空前絶後の四選を果たし、在任期間中に元気アメリカの政治経済システムを築き、また国際連合を創設して戦後の国際秩序の基礎を固めた。
ニューヨーク州ハイド・パークの旧家に生まれ、家庭で教育を受け、ヨーロッパで毎年数ヶ月過ごす恵まれた環境に育った後、グロートン校を経てハーバード大学を卒業、コロンビア大学ロースクールへ進んだ。1905年親戚のエレノア(セオドア・ルーズベルトの姪)と結婚した。
1910年に29歳の若さで民主党から立候補、ニューヨーク州上院議員に当選し、革新派として、民主党のボス政治機関と闘った。ウッドロウ・ウィルソンの大統領選に貢献し、海軍次官に任命された(1913年~1920年)。1920年には民主党の副大統領候補に選出されたが落選、1921年8月に小児麻痺にかかり、下肢の自由を失った。
妻エレノアの助けを得て、療養生活の間も政治活動を続け、1929年にニューヨーク州知事に当選した。同年10月29日の株の大暴落をきっかけに始まった大不況では、それまでの穏健な革新主義から転じ、政府による積極的な救済策を打ち出し、ラジオを使って直接州民に語りかけた。再選は圧倒的勝利だった。
余勢を駆って1932年の民主党の大統領候補に指名された。選挙では「アメリカ人民のためのニューディール」を訴えて、共和党の現職大統領ハーバート・フーバーを大差(獲得選挙人数472対59)で破った。
翌年3月に就任すると、「恐れるべきは恐怖だけである」と改革の必要性を力強く訴え、従来の不況対策(政府支出の削減と増税と均衡予算によるデフレ政策)をしりぞけ、ブレーントラストと呼ばれる学者集団の助言を得て、大統領の強力な指導のもとに、経済の救済、復興、改革を図った。主な政策は、銀行の整理と通貨統制による金融立て直し、農業調整法などによる農民救済、全国産業復興法の制定による労働者の団結権、団体交渉権の確認と土木事業による失業者救済、社会保障法の実現、TVA(Tennessee Valley Authorityテネシー川流域開発公社)の設立であった。
これらの政策は、目前の必要に応じた改革であったが、結果的に、景気の動向に対しても政府が責任を持つことになり、資本主義経済はこれまでの自由放任から政府の積極的な指導と介入を受けることになった。連邦政府が国民生活全般の福利に一定の責任を負うという現在の社会・経済政策の基礎となった。1933年にはソ連を承認し、米ソ貿易の拡大を図った。
二期目にはいると、ニューディールの主要政策に違憲判決がくだされ、改革は停滞し、しかも1937年には景気が後退し始めた。そのころにヨーロッパ、アフリカ、アジアにはドイツ、イタリアと日本の侵攻によって戦雲が広がり始めていた。ルーズベルトは、1937年10月5日、集団安全保障の考えを「隔離演説」で示したが、世論の強い孤立主義の前に、中立主義を継続せざるを得なかった。
しかし、1939年にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、連合国側を支持し(1940年6月イギリスに武器貸与)、軍備を増強し(1940年9月16日選抜徴兵法)、ラテンアメリカを経済的軍事的にアメリカの同盟下に結束させた(1940年ハバナ宣言)。1940年11月に三選を果たした後、アメリカを「民主主義の兵器庫」にすると宣言し(1940年12月29日)、翌年の年頭教書で「四つの自由」を発表し、ファシズムとの対決姿勢を明確にし、イギリス首相のチャーチルとともに大西洋憲章を発表した(8月14日)。
日本の真珠湾攻撃でアメリカが参戦すると、連合国側の指導者としてチャーチルやスターリンとともに戦後処理と恒久的な世界平和実現構想をまとめ、こんにちの国際連合の基礎を築いた。四選を果たしたが、4月12日脳溢血手死去した。
おいおい、アメリカってところはホントに色んな奴がいるな!中でも、ひときわ異彩を放つ男がいた。そう、フランクリン・デラノ・ルーズベルト、後のアメリカ大統領だ!
こいつぁ、只者じゃねぇ!生まれながらの貴族で、頭もいい、弁も立つ!おまけに、車椅子に乗ってるってんだから、インパクト抜群だ!
竜馬とルーズベルトの出会いは、ある慈善パーティーでのことだった。
「やあ、あなたは…レイ・サカモトさん?ボクシングのチャンピオンで、投資家としても有名だと聞いています」
ルーズベルトは、にこやかに竜馬に話しかけてきた。
「おう、俺がレイだ。あんたは…?」
「フランクリン・デラノ・ルーズベルトです。将来、大統領になる男です」
ルーズベルトは、自信満々に宣言した。
「大統領か!そりゃまた、でっかい夢だな!ハハハ!」
竜馬は、ルーズベルトの野望に感心し、意気投合した。それからというもの、二人は親友のように仲良くなり、政治や経済、人生について語り合った。
竜馬は、ルーズベルトの類まれな才能とカリスマ性に惚れ込み、彼を大統領にするために全力を尽くした。資金集めから選挙活動まで、竜馬の活躍は目覚ましく、ルーズベルトも竜馬の助けなしでは大統領になれなかっただろう。
こうして、ルーズベルトは大統領になり、ニューディール政策でアメリカを世界恐慌から救った。竜馬も、ルーズベルトの側近として、政策立案に貢献した。まさに、二人三脚でアメリカを変えていったのだ!
だが、二人の蜜月は長くは続かなかった。太平洋戦争が始まると、二人の意見は次第に食い違っていった。
「レイ、日本は危険な国だ。やつらを叩きのめすしかない!」
ルーズベルトは、険しい顔で竜馬に言った。
「待て、ルーズベルト!戦争は何も解決しない!話し合いで解決する道を探るべきだ!」
竜馬は、必死にルーズベルトを説得しようとしたが、ルーズベルトの決意は固かった。
「レイ、もうお前の出る幕はない。日本に帰りたいなら、いつでも帰ればいい」
ルーズベルトは、冷たく竜馬に言い放った。
「ルーズベルト…お前…」
竜馬は、失望と怒りで胸が張り裂けそうになった。
こうして、竜馬とルーズベルトの友情は終わりを告げた。竜馬は、ルーズベルトの元を去り、単身で戦争を止めるために奔走することになる。
竜馬にとってフランクリン・ルーズベルトやジョン・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、ジョン・デューイは日本における西郷隆盛、木戸孝允、勝海舟らの存在と同じかそれ以上のものであった。
しかし、ルーズベルトが大統領になり、太平洋戦争が始まると、次第に竜馬とルーズベルトの仲はぎこちなくなってゆく。
竜馬はルーズベルトから離れ、戦火を潜って日米間を往来し、バカげた戦争を止めるべく奔走した。米内光政、幣原喜重郎、石橋湛山、東久邇宮稔彦王などと極秘裏に面会し、連携を取った。
竜馬が面会した中には若き日の埴谷雄高も含まれていた。埴谷雄高は思想犯として特高に投獄されたのち、転向したフリで釈放されたが、のちに台湾に渡り、日台を行き来しながら反戦活動を行っていた。竜馬はその埴谷に目をつけたのだ。
竜馬は、米内光政、幣原喜重郎、石橋湛山、東久邇宮稔彦王といった日本の要人たちと、秘密裏に接触し、和平交渉を進めていく。さらには、思想犯として投獄された若き日の埴谷雄高にも目をつけ、協力を要請する。
果たして、竜馬はバカげた戦争を止めることができるのか?そして、竜馬とルーズベルトの運命はいかに…!?




