6話
嫁に貰う権利…?
あれ?
聞き間違いかな?
いま神田の口から私を嫁に貰う権利って聞こえたけど、たぶん、ちがうよね。幻聴だよね、きっと、そうだよね?
「えっと神田…さん?」
「なに?」
「あの、今なんて…?」
「はぁ…」
神田はため息をつくと足を組んで答えた。
「私を嫁に貰う権利と言ったのよ」
おう!NO!
聞き間違いじゃなかったOMG!!
なにこれ!?
どゆこと!?どういう展開!?
唖然とし俺の目線が左右に踊るのを神田は目視しながらも、平然とコーヒーに口をつけていた。
「あのね。勘違いしないでよね、向原君。
別に私、あなたのことが好きってわけじゃないんだからね」
「はい!わかります!」
それについては重々承知してますとも!
「私は商業作家。
すなわちプロとしてのプライドがあるの。
それで素人の向井原君に負けたとなっちゃあ、死ぬのにも等しいわ、だから私が負けたら結婚する」
「わからないっ!
全然っ!わかりません!」
だからなぜ!?
死ぬ=結婚!?
どうして僕と結婚するのだ!?
「この『命を賭ける』って言ってんのよ。
私はこの戦いに死ぬ気で取り組む。
負けたら切腹するくらいの覚悟でね。
けど、この現代社会、命のやり取りなんていう物騒な事はできないわ。
だから、私が負けたらあなたの妻になる事でこの人生をあげるってこと」
重っ…。
いや、重すぎるよ神田。
ヘビーとかそういう次元じゃないくらいに重いよ。
その覚悟に若干吐き気すら出てきたよ今。
伊藤カイジもびっくりなざわつき具合だよ。
「なによ、向井原君。
ちっとも嬉しそうじゃないわね。
この私と結婚できるって言ってんのよ。
その千載一遇のチャンスがあるのよ?
どうしてそんな微妙そうな表情ができるのかしら」
「そりゃ、さ。
だって…そうでしょうよ」
たしかに神田は可愛いし美人だし、頭もよければなんでもそつなくこなす器用さすら兼ね備えてる。
嫁に貰えるんだったらこれ以上嬉しい人はいないけど。
でもさ。
こんな高校生のたかが一つの勝負。
その罰ゲームで人生かけられても、かけられる側からしたら困る以外の感想が出てこない。
「ちなみに、僕が負けたら?
多分というか十中八九負けるのは僕なんだろうけど、僕が負けたらどうなる?」
「逆に、どうしたい?」
ええ?
逆に?
なに、選べるの?
そういうタイプ?
負けた時の罰ゲーム選べるタイプかよ。
でも考えつかねぇよ!
神田の命と同等の対価なんか考えつかねぇなぁ!
「じゃあ…。
負けたら、もう小説書くのやめるよ。
神田が人生をかけるなら
僕も書き手としての人生をかける」
「却下」
「ええ」
「向井原君が小説書くのをやめて私に何の得があるの?
そんなのちっとも嬉しくない」
「それを言ったら…神田の方だって、嬉しくない」
嬉しさがオーバーフローして、逆に嬉しくない。
「なぜ?私とセ◯クスできるのに?
もしかして…そっち系?」
得だああああああああああ!!!!
得です!すいません!超お得!!
お買得ですゥゥゥ!!
「すいません」
もうここまできたら謝るしかなかった。
なにに対して理由に謝っているのかも、もはやわからず頭を下げる。
「わかればいいのよ」
「はい」
小休止。
僕らはそれぞれコーヒーに口をつける。
「なら、神田が決めてくれよ。
僕じゃ何がいいかとか決めかねない」
「なら、そうね」
神田はわざとらしく考えるフリをした。
「私とお友達になって欲しい」
「え?」
「だめ?」
珍しくしおらしく言う神田。
瞳の奥が何かに怯え揺れているようだった。
「いや、ダメじゃないってか…」
もう友達だと思っていたのは僕だけだったらしい。
そのことに少し悲しさを感じてしまう。
「…分かった。
だったら、こうしよう。
もし僕が負けたら神田の友達になるよ。
なった上で、一日、神田の言うことをなんでも聞く。
そういう日をつくる」
すると神田は突然立ち上がって、両手で僕の手を掴んだ。そのまま胸元に持っていく。
神田の柔らかな手に包まれる感触、小指にそっと触れる胸。全てに対して僕の身体はいやがおうにも反応してしまう。
「それでいいわっ!」
「そ、そう?」
「うん!約束よ!
絶対よ!?」
「え、ええ…。まぁわかったよ」
珍しく、すごい食いつきようだった。
「なんでもいうことを聞くのよ!?
私が死ねと言ったら死ぬ!
私が生きろと言ったら生きるのよ!わかってる!?」
「わ、わかってるよ。
神田が死ねと言ったら死ぬし、生きろと言ったら生きるよ」
流石に死ねと命令することはしないと信じているけど。
…ええ、しないよな?
神田さん?
「ふん〜ふんふん、ふふふん!」
目を移すと
神田はなんだか嬉しそうに鼻歌混じりにスマホにメモをしていた。覗き込むのは乙女のプライバシーに関わるのでしなかったけど。
いったい…何をやらされるのか。
言ってしまった手前もう訂正もできないだろうけど。
なんだろうかな。
鼻からスパゲッティでも食わされんのかな。
一番痛くないスパゲッティ、今から調べとこうかな…。でも神田のことだからそれにタバスコとかかけてくんだろうな…。
ああ!いやいや、勝てばいいさ!
勝てば全て丸く収まる!
ついでになぜか神田は嫁にくるけど。
もうこうなったらそれでもいい!!
どーにかなれーー!
そんな時だった。
部屋をノックする音がした。
「ごめん、にいちゃん」
そうドア越しに妹、絵里の声がする。
少し重い声をしていた。
「どうした、絵里」
心配になってドアを開ければ、そこで待っていた絵里の目線は下を向いたまま、どこか申し訳なさそうにしている。
「大丈夫?絵里?どうかした?
にいちゃんの力が必要か?」
「ううん、大丈夫」
絵里は首を振る。
アレ?
そういえばさっき出かけるとか言ってなかったっけ?
まぁいいか。
「神田さんに用事があるって人が玄関まで来てて」
「神田に?」
そう神田を見れば、さっきまでの笑みはどこに消えたのか。
表情をいつもの険しいものに整え、スッと凛々しく立ち上がる。
「それは、おそらく、私の問題です。
ごめんなさいね。ご迷惑をかけて」
「い、いや。
大丈夫です。全然っ!
あの、いま、お客さん玄関の方で待ってるので…」
「わかったわ。すぐ向かう」
そう言って部屋を出て歩く神田。
僕はそんな神田の後を追う。
「…変な奴じゃないんだよな?」
「ええ。
ここに来たのは
たぶん、私のボディーガード、ほらあたり」
玄関につけば、そこには黒服にサングラスをかけた長身でスキンヘッドの男が一人行儀良く立っていた。
そのグラサンは神田を見ると表情ひとつ変えず淡々と
「時間です、お嬢様」
それだけを言った。
「わかってる。
けど、少しは空気を読んで欲しいものね。
人の家にまで上がり込む?…普通?
貴方自分の顔の怖さわかってるでしょ?
これで私がもう2度とこの家にこれなくなったらどう責任取るのかしら、愛染?」
愛染と呼ばれたグラサンはそんな強気な神田の姿勢にもいっさい臆することはなかった。
「業務ですので」
「はぁ。
そればっか。
業務、業務、業務。
聞き飽きたわ、この仕事人間」
僕はそうあからさまに苛立っていた神田に勇気を出して声をかけた。
「あの人は?」
「…愛染。
藍染 慎太郎。
私のボディーガード兼、足。
門限厳しいのよ、私の家って。
だからこうして過ぎそうになると愛染が迎えに来るの」
「なるほど」
神田の家は日本でも有数。
目が飛び出るほどの良家だ。
それも神田は跡取り。
ボディーガードの一人や二人当然のようにいるのだろう。
「と、いうことでね」
そうスタスタと僕の前を横切る神田はまるでマジシャンのような手慣れた仕草で僕の制服の胸ポケットに何かを落とし、愛染という男の方に向かった。
「今日はここまでのようね、向井原くん。
それと、絵里さん、驚かせちゃってごめんなさい」
「え!?
いやいや!全然!まったく大丈夫です!
あの!神田先輩!
また気軽に遊びに来てください!」
僕の背中に隠れていた絵里はひょこりと顔を出してそんなことを言ってはまた隠れてしまった。
そんな絵里の様子に神田はまた、ふふっと笑う。
なんか、僕と態度違うよな。
うん。
この世は不条理だ。
「なら、送り迎えは必要ないんだな。
神田…ぱいせん」
「そうね。
それではお邪魔しました」
そう頭を下げ、家から出て行った神田。
「…すごい、人だったね」
そんな絵里の言葉を無視して、
僕は家の鍵を閉めたのだった。