3話
「…くん」
口をぽかーんと開け。
暫く放心する僕。
「向原くん!」
「あ」
しまった。
あまりの衝撃でボクの体内時間が止まっていたようだ。
「え、えっと?」
神田はそんなボクの様子を見てため息を吐きながら答える。
「なに、今度は耳でも残念になった?」
残念にはなってない。
僕は神田の言葉をしっかりと聞いていた。
耳をかっぽじって聞いていた。
聞いていたからこそ放心した。
僕には神田のその言葉の理由が分らなかったからこそフリーズした。
「…え?僕の…小説を読みたくなった?」
「そうよ」
「そうって…」
言うけどさ。
どうしてまたいきなり。
小説を読みたいだけなら、この時代、そんなものは世に溢れている。本屋に行けば500円もかからず手に入るし、それこそwebサイトで読めば金だってかからない。
「私…こう見えても商業作家なの」
「…は?」
またもや突然の告白をする神田。
「商業作家、それは分かるわよね?
作家、本を書いてそれを売ってお金を得る人。
私は高校生でありながらそんな作家。
それも、主な主戦場。ジャンル。はそう。
ライトノベル。
ライトノベル作家」
「ライトノベル作家…」
神田は自身の胸のポケットからスマホを取り出すと、その画面を堂々僕に見せつけてきた。
「近づきなさい」
「近づく?」
「そう。もっともっと私に近づいて。
そんな遠くからじゃ、見えるものも見えないでしょ?」
神田の言う通り、僕と神田との距離感は5メートルを超えるものだった。
人と人が、それも二人が面と向かって会話するには異質すぎる距離感。
「あ…、ああ」
だから僕は彼女に近づく。
言われたまま、5メートルから1メートルの距離に。
神田から出たであろう柔らかな花のような匂いが鼻の奥をくすぐり、そうして見えた神田のスマホ画面にはアニメ長の男女二人の絵がでかでかと描かれていた。
それはまさしく、よく見られるライトノベルの文庫本の表紙。
タイトルは『愛する君との入れ替わり』
「しましまねこ」
3度目の意味の分からないことを言い出す神田。
いい加減固有名詞からじゃなく、それについての説明から入ってほしいものだ。
「しましまねこ…ってなんだよ?」
もしくは敢えてなのか。
敢えてボクからそう聞かれるのを今か今かと待っていたのだろうか。
神田は鼻をやや広げ少し得意げになって頬を染め言った。
「ほらほらタイトルの側に小さく書いてある、それが私の雅号。
あっ雅号ってのはペンネームのことね。
私は『しましまねこ』という名で小説家をやっているの」
いたく饒舌になる神田。
先程までのツンケン美女はどこに消えたのか、目を光らせ子供のような無邪気さが見える。
「…へぇそうなんだ、すごいね」
「ででで、そんな私の最新作。
『愛する君との入れ替わり』
来月の二日、第三巻発売だから、ちゃんと買ってね」
「買ってもいいけど、まずは一巻から読ませろよ」
「読まなくてもいいから買って」
「買ったなら読むわ!」
お金が勿体無いだろうが!
「おっと、っと話が脱線したけれど。
今回、貴方に作品紹介をしたくて呼び出した訳じゃないの」
それは僕も分かっている。
今のがちょっとしたかけ合いだったってことくらいは。
うん、神田との距離感も大体は掴めてきたと思える。
神田 葵は冗談が通じるやつ。
性格は悪いが、悪い人間じゃないだろう。
「えっとその、僕の小説が読みたいだっけ?
物書きの一人としてさ、そう言われるのはすげー嬉しいんだけど。
そのどうして?
それも商業作家なんて人がどうして僕なんかのつまらない作品を読みたいなんて思うんだよ」
「理由なら…そうね。
同年代の書いた、それも同校の人の書いた小説がどれくらいのレベルなのか気になるから」
へぇ、どれくらいのレベル…ね。
「もし神田が僕のプロットノートを拾って。
そしてそれを読んで期待させたのなら本当に悪いんだけど。
多分、神田が満足できるようなレベルの作品なんて僕にはないとは思う」
僕は確かに小説投稿サイトにそれこそ毎日のように小説を投稿しているが、それでもつくpvアクセスは100いかないという、いわば売れない小説家。
いや、売ってすらいないのだからそれ以下か、
そんな『見られもしない小説家』で、こんな僕の拙い作品群ではとうてい神田を唸らせることなんかはできないだろう。
「違うわ、向原くん。
貴方はなにか勘違いをしている」
「勘違い?」
「そう。
私はけっして面白い作品が読みたい訳じゃないの。
向原くんの書くとてもつまらない作品を読んで、
ああ!
私は同年代よりもこんなに優れているんだ!
と、そう優越感に浸りたいだけなの」
訂正。
さっき神田は悪い人間じゃないといったな?
あれは嘘だ。
神田は悪いやつ。
その性格、人間性、
どれをとっても
僕にとって、都合の悪いやつだ。
「それにね、向原くん。
これは物書きとしての、
それなりな人気を持つ商業作家としての君への上から目線なアドバイス」
神田は僕に向けスタスタと歩きより、僕の胸をトンと人差し指で付くと言った。
「物書きなら、自分の作品がこの世で一番だと思いなさいな」
「この世で一番…」
「私は言わずもがな、
私がこの世で一番のライトノベル作家だと思っているわ。
それなのにまだ世界一の売り上げを出せていないのは、私と私のファン以外の人間の感性が時代に追いついてないから」
まじかよ…。
コイツ他人のせいにしやがった!
「って、いうのは少しやりすぎだけど。
でも作家にはそれくらいの心意気、自信、エゴが必要なの。
自分がつまらないと思って書いた文章。
そんなもの他人が読んで面白いと感じるわけないでしょ?」
「それは、そう…だけど…」
神田の言うことは至極真っ当なこと。
セールスマンが、この商品はすぐに壊れます、だから買ってくださいと言って物は売らないだろう。
まずは極限まで商品を褒めちぎる。
それこそ、嘘でもついて、勘違いでもなんでもさせてその商品を買ってもらう。
小説家だってそうだ、商いというジャンルでは同じような物。
しかし実際問題、僕の作品と名があるタイトルとを読み比べ、それよりも自分の作品が面白さで勝るかと聞かれれば素直に頷けないのも事実。
「だから、自分で自分の作品をつまらないなんて言わないで、それを言うのは、読書の仕事。
貴方は書ききった事にただ敢然と胸を張りなさい」
敢然と胸を張る…か。
「分かったよ。
神田。
そこまで言われたら、読ませてやる。
後悔はすんなよ」
神田のその言葉に、僕はちょっとだけ勇気が湧いたのだ。